美学生インタビューInterview
私もあのアリーナでドラムを叩きたい
中園さんの趣味や特技ってなんですか?
高校の時、3年間軽音部でやってたドラムですかね。私の通ってた小学校はブラスバンドが盛んで演奏を見ることが多く、一番に目が行くのが打楽器だったんですよ。その時からカッコいい!やりたい!と思ってて。
5歳からピアノとエレクトーンを習っていたのでなかなか機会がなかったんですけど、高校で軽音部に入って始めました。
軽音というとボーカルやギターに目が行きそうですが、違ったんですね。
ボーカルやギターは目立つけどその土台を作るのはドラムじゃないですか。ドラムがないとベースのキープもできないし、後ろでひっそりカッコいいんですよ。それが魅力的というか。
ウチの部、上手い先輩たちがたくさんいて、そこに近付くのを目標に練習してました。私はどうしても出たい大会があったのでそれに向かって頑張ってましたね。
どんな大会を目指してたんですか?
軽音楽系クラブの甲子園と言われる『We are Sneaker Ages(略称:スニーカーエイジ)』っていうコンテストです。100校ほどが参加する予選を勝ち抜くと、決勝のグランプリ大会では7000席もある舞洲アリーナで演奏できるんですよ。
私が1年生の頃、先輩たちがここに出演してる姿を応援席から見て、本当にすごすぎて震えちゃって「自分も絶対ここに立ちたい!」って思ったんです。
高校時代はそこを目指して毎日練習に打ち込んでた感じですね。
そうですね。部員は全員で50人くらいいて、大会は選抜メンバーしか出られないんです。そのメンバーを選ぶため月1回部内発表会があって、大きな大会になるほど競争率が高いんですよ。実力優先で1年生でも抜擢されることがあって毎回ドキドキでした。
ウチの部は夏と冬に1週間の合宿もあって、自主練を含めたら朝6時から練習開始で、昼ごはんや休憩はありますけど夜の12時までずっと演奏してました。
活動的な部ですね。それで目指してた大会のメンバーには選抜されたんですか?
3年生の時に選ばれました!でも、予選大会の準決勝で敗退してしまってグランプリ大会には出られなかったんです。あと一歩、っていうすごいチャンスだったんですけど……。
それは悔しいですね。
予選会もいいホールで演奏させてもらえたのですごく嬉しかったです。でも、やっぱり私が立ちたかったのは舞洲のアリーナだったんですよね。音の響きが全然違うんです。
1年生の頃からの夢で、3年間全力でやってきたけどそこに立てずに終わる。バンドのメンバーともめちゃくちゃぶつかり合いながら作り上げた演奏だったので本当に悔しくて。やり切ったっちゃやり切ったんですけど、グランプリ大会まで残ってたら引退は12月ですけど、夏に引退になってその後は虚無でしたね。
再び見つけた目標 ファイナルイベントで流した涙の訳は?
頑張った分、ダメだったら落ち込んでしまいますよね。その後、大学で音楽は?
1回生で軽音サークルに入ったんですけど、結局すぐに辞めてしまいました。悔しかった気持ちを引きずってたんですね。だから熱中してたことが無くなってしまって、特に何をするでもなくぼ~っと過ごしてました。
そんな時にミスキャンパス同志社に出会ったんです。正直、大学に入った頃は全く知らなかったんですが、2018年度のファイナリストに高校の先輩が選ばれていたので見てみたら、七原月乃さんと米田紗英さんのファンになり、そこからミスキャン自体にハマってしまって。
彼女たちのどういうところに惹かれたんですか?
もともとアイドルのような可愛くてキラキラしてて何かに向かって努力をしている人を見るのが大好きなので、そこに惹かれたんだと思います。
ファイナリストのSNSもずっと見るようになり、それこそ美学生図鑑のミスコン特集とかも人一倍読んでました。イベントで近付いてお話できたりするとめっちゃ綺麗……!みたいな感じで。
ファンって感じですね。
そうなんです。同じ女性として憧れてました。
イベントにも足を運ぶようになって、ある日、同志社の寒梅館にあるレストランでおこなわれたファイナリストと一緒に写真が撮れるイベントに参加してたら、ずっとファイナリストを撮影してる人たちがいるんですよ。何の団体なんだろう?って思ってたら、後日友達が実行委員募集のツイートを見せてくれて、ミスキャンの実行委員会やったんや!って知ったんです。それで面接を受けて入りました。
実行委員会ってどんな組織で、実際にはどんな仕事をするんですか?
メンバーはだいたい30人弱で女の子の方が圧倒的に多いです。カメラマンは別のくくりでこっちはほぼ男子ですね。
同志社の実行委員会は営業、広報、企画、マネージャーの4部署に別れていて2回生で入った時、私は企画とマネージャーになりました。企画はファイナリストたちの魅力を発信するための案を考える部署で、例えば浴衣撮影だったり料理企画だったり、企画書作ってスタジオを予約し、写真をどう撮るか、どういう風に発信するかを全部自分たちで一から練っていきます。
マネージャーさんもいるんですね。
ファイナリスト1人に1人が付きます。撮影の時に荷物や鏡を持ったり、スケジュール管理をしたり、メンタル面の相談に乗るのが主な仕事ですね。
私は前田希さんの担当で、実はミスキャン出場前に美学生図鑑に取り上げられた時からファンだったんです。だから担当マネージャーになれたのがすごく嬉しくて。でも、1つ先輩なので最初は遠慮してしまってたんですけど、そのままだとよくないと思ったので、一緒にご飯に行って仲良くなるところから始めました。
ファイナリストを支える上で心がけていたことってありますか?
活動を続けていく中では精神状態やモチベーションの維持が大事なので、その辺の気遣いやケアですかね。SNSで誹謗中傷もあったりもするので、落ち込むことってあるじゃないですか。そんな辛いこと苦しいことも共有してもらえるよう、ほぼ毎日連絡を取ってました。一瞬でも心が離れて相談しにくい状態になるとよくないので、ミスコンに関係なくても色々な話をするよう心がけてましたね。
ファイナリストたちが活動しやすい環境を作って、楽しんでやってもらうのが一番で、マネージャーは一番寄り添える立場です。とにかく信頼関係を大事にして、これだけは絶対に無くさないよう活動してました。
出場者は目立つし誹謗中傷も多いと聞きますから、裏方のサポートって大事ですよね。
ファイナリストたちのこと、周りの人は表面しか見えないので、いつもキラキラしてて楽しそうって思いますけど、傍でスタッフをしているとみんな迷ったり悩んだりしながら活動してるし、めちゃくちゃ色々な努力をしてるんです。でも、そういうのを一切表に出さないファイナリストたちがすごくカッコいいなって思いましたね。
ミスコンで一番盛り上がるのはやはりファイナルイベントだと思います。運営は大変だと思いますが、やってみてどうでしたか?
ファイナルが近付いてくると本番の仕事も割り振られ、準備することがどんどん増えて行くので本当に大変でした。
でも当日、オープニングで暗い会場が明転した瞬間に後ろを向いていた出演者たちが、一斉にバッと前を向くんですけど、その時のお客さんの歓声がもう本当にすごくて。その雰囲気に感動して、気付いたらボロボロと泣いてしまってたんです。
イベント中にですか?
はい、舞台袖で。ステージ上でキラキラ輝いているみんなを見ていたら、こんなにすごい舞台に携わったんだって実感して。半年間ずっと活動して忘れかけてた最初の感動を思い出しましたね。
実は2回生の時は不完全燃焼だったんです。次の年も実行委員を続けるかどうか迷っていたんですけど、そのステージを見て絶対に来年も続けようって決めました。
不安との戦い 代表としての覚悟
どういうところが不完全燃焼と感じたんですか?
全力で関わり切れてなかったというところですね。この日は参加できたなとか、もっとファイナリストに寄り添えたなとか、こんな発信の仕方があったなっていう後悔ばかりがどんどん出てきて。
ミスキャンの実行委員って3回生になると留学やインターンがあるので、辞める人が多いんです。だから昨年は3回生でも続ける私が代表になったんですけど、前の代表とかを見てたらプライベートの時間あるんかな?ってくらいめちゃくちゃ忙しそうでした。
スタッフも多いし企業さんとも付き合うので遊びじゃないですもんね。
最初は出来るか自信がなくて責任ある立場を引き継ぐのが怖かったんですけど、先輩たちに甘え切ってた自分がすごく嫌で。自分を変えたいっていう気持ちもあったし、代表になれば嫌でも仕事をするだろうなって。なので「私がやります」って腹をくくったんです(笑)
実際に代表をやってみて何が大変でしたか?
前の年に担当してないので企画とマネージャー以外の仕事は最初あんまりよくわからなくて。そんな中で新規のスタッフが20人ほど集まり、その面接やスポンサーさんへの挨拶回りでヘトヘトになってました。
さらに、スタッフ集めで順調にいい人材を集めることができて、今年はもう安泰だ!と思った矢先に……。
新型コロナの影響ですか?
緊急事態宣言です。1回目のミーティングが潰れて、顔合わせもしないまま春学期はオンラインになり、月日だけがどんどん流れて。もう再開できないんじゃないかって不安を抱えたまま活動を停止しました。
面接の時「すごく関わりたかったんです!」と言ってミスキャンに夢を持ってる子が多かったので、せっかく入ってくれたのに申し訳ない……としか。
活動を再開できたとしても心配は尽きないですよね。
ファイナリストから感染者が出てしまったらミスキャンが終わる、っていうプレッシャーがありました。
それにミーティングは全部Zoomだったので、私が一方的に話すだけになってしまって。わからないことがあったら言ってねとは言うけど、よく知らない人に相談はしにくいですから、コミュニケーションを取るのが難しかったです。
ファイナルイベントは無観客だったんですか?
そうです、関係者だけ。例年だいたい800人ほど入るんですが協賛企業さんとかだけになって、オンライン配信にしました。その部分は業者さんに頼みましたが、中身の流れはいつもの年と変えず、構成や台本も全部自分たちで作りましたね。
初めてのことが多くて不安はありませんでしたか?
配信をしたことなかったのでどれだけの人に見てもらえるかなって。
統括の子と「3000人くらい見てくれたらめっちゃ嬉しいね。」って話してたんですが、当日その子がすごい勢いで「ちょっと来て!!」って呼びに来たんです。慌てて視聴者数を見てみたら1万人を超えてて、ええっ!?みたいな。
コメント欄もすごく盛り上がってて、私また号泣しちゃいましたね。本当にやってきてよかったなって喜びと、自分たちの判断が間違いじゃなかったんだって安心でもう胸がいっぱいでした。
代表を務めてどうでしたか?自分自身の成長には繋がりましたか?
めちゃくちゃ成長しましたね。1年目とは視点が違ってファイナリストだけじゃなくスタッフのことも見ないといけないし、営業も初めてやって企業さんともメインで話をさせてもらいました。
最初はナヨナヨしてて、問題が起こる度にどうしよ……ってなってましたが、だんだんと物事を冷静に判断できるようになり並大抵のことでは動じなくなったというか、私が慌てると周りも心配するので。誰かがミスをしてしまっても絶対大丈夫やから!なんとかなるから!って感じでまとめてました。
コロナでファンと直接交流する機会はなくなってSNS中心の活動でしたが、自分の活動としては何も後悔はないです。完全にやり切りました。