2021.03.10

冨田有紀(上智大学)「春からアナウンサー!ラグビー部で培ったコミュニケーション力を忘れずに」

田上 理彩青山学院大学2年生

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美学生インタビューInterview

マネージャーとして大切にしてきたこと

現在4年生ということでもうすぐ卒業ですね。大学生活で一番力を入れて活動したことは何ですか?

上智大学体育会ラグビー部のマネージャーとしての活動です。

ラグビー部に入部したきっかけはなんですか?

もともとは違うサークルに入ろうと思っていたんですけど、同郷の先輩に誘っていただいて入部しました。積極的に入ったというよりは流されて入った感じです。

 

私自身はバレーボールとダンスの経験があり、高校時代にはサッカー部のマネージャーをしていたのですが、正直ラグビーには最初から興味があったというわけではありませんでした。

高校時代も運動部でマネージャーをしていたんですね。マネージャーの仕事にやりがいを感じていたんですか?

幼馴染がサッカーをやっていた影響で始めたマネージャーでしたが、そのお仕事はビブスの洗濯やタイムキーパーなどで、テレビドラマのような華やかさとはかけ離れたものでした。

 

でも、怪我をした選手の役に立てたと感じた時は入って良かったと感じましたし、表に出ない仕事が多い中で高校の卒業式に後輩が色紙に感謝の気持ちを書いてくれたことも印象に残っています。私の普段の活動中の言葉や行動、とっさの励ましを覚えてくれていた選手が何人もいて、その時に「やってきたことをそんな風に思っていてくれたんだ」と感じて嬉しかったです。

そうなんですね。大学でのラグビー部ではどのような活動をしていましたか?

ラグビー部のマネージャーの仕事はタイムキーパーやテーピングはもちろん、選手が試合中に怪我をしたら試合が続いていても躊躇することなくグラウンドに入って対処するという少し危険なものまでありました。

マネージャーだけでも20人いるような大所帯の部活だったのですが、仕事に積極的な子もたくさんいる中で周りとモチベーションの差を感じて悩んだこともあります。最初の頃はやりがいや目的もあやふやだったので、「どうして入部したのか」と悩んでしまい、自分の役割や立ち位置を考えこんでしまうことがありました。

周りとのギャップがあったんですね。その後、4年間でどのようにそのギャップを埋めて、自分の役割を見つけていきましたか?

既に先輩や同期に事務的な仕事をしっかりとする存在がいたので、自分の役割を考えました。その時、高校時代から大切にしていた周りとのコミュニケーションに重点を置き、組織の中になるべく隙間ができないようにしたいと思ったんです。

 

「今、この人の怪我はどうなっているのか」「普段、何を考えてプレイヤーとしてラグビーに向き合っているのか」ということをよく考えていましたね。自分が先輩になってからも後輩に「何でも話せる先輩」と思ってもらえるように意識して活動していました。

具体的にどのようにコミュニケーションをとっていたんですか?


頼りがいのあるしっかりとしたマネージャーは他にいたので、頼れる先輩というよりも友達のようにフラットな関係で話しかけやすい存在になろうと努力していました。

 

体調が悪そうな子や、履修の関係で参加できない子がいたら、自分から「最近どう?」と声をかけたり、プレイヤーに対してもテーピングを巻いているときに日常生活の話をしたりしていました。グラウンドの中でも外でも、ラグビーのこともそうでないことも話しやすいマネージャーを目指していましたね。

周りの人に気を配れるマネージャーだったんですね。逆に冨田さんが周りに助けてもらったようなことはありましたか?


時間をかけて通わなければならない練習場の日は茨城の実家から往復8時間かけて通っていたため始発でも練習時間に間に合わないことがありましたし、目に見えて頼れるすごい人ではないことに悩んでいた時期がありました。

 

また、アナウンサーを目指していた関係で、就職活動が同期よりも1年ほど早く始まったので、どうしても部活を離れなければならない日があったんです。でも、私のそういう事情も理解して応援してくれて、部活の同期にテーピングを巻いていた時に「自分たちにとってすごく大事なマネージャー。」と声をかけてくれた時に心強さや仲間のありがたさを身に染みて感じました。

仲のいい部活だったんですね!

そうですね!部活動以外でも一緒にお祭りに行ったり、観覧車に乗ったりもして居心地のいい部活でした。引退した時に後輩からの手紙に「有紀さんの役割を引き継いでいきたいです。」と書いてあって、最後まで部活に貢献できていたか不安でしたが本当に嬉しかったです。

嬉しすぎてトイレから1時間出られなかった?!

卒業後の進路について教えてください。

テレビ局のアナウンサーになります。

アナウンサーになろうと思ったきっかけは何ですか?

幼い頃、テレビが最大の楽しみで、好きな番組が始まる時間になると遊びを切り上げて家に帰ってテレビを観るという生活をしていました。

 

テレビっておもちゃ箱みたいでキラキラした世界だと思っていて、その中でひときわ輝いてるアナウンサーという職業に徐々に惹かれていきました。

早い時期からアナウンススクールなどにも通っていたんですか?

いや、実はスクールに通い始めたのは大学3年生の夏ごろからで、採用試験まであと2か月しかないというタイミングだったんです。憧れはあったんですけど、自分が目指せるようなお仕事ではないと思っていたんですよね。

 

でも、同じ学科の先輩がアナウンサーになったと知った時に「アナウンサーに本当になる人っているんだな」と身近に感じられて、他の職種と違って採用試験が早いこともあったので「やっぱりなりたいな、受けてみようかな……」と思ってスクールに通うようになりました。

スクールに通ってみてどうでしたか?

周りの同世代の子は既に滑舌が完璧だったり、自分を魅せることが上手ですごく眩しく見えて、自分の無個性さに落ち込みました。部活動も忙しいし、都内まで行くのも時間がかかるし、アルバイトもガッツリやっていたので思うように就活のための勉強はできていなかったと思います。

 

そして、焦燥感を抱いたまま採用試験の時期を迎えました。面接会場では1年生からスクールに通っている人や、目を引く特技を披露される人が多かった中で、私は外部活で肌も日焼けしていたし、部活の帰りに大きな荷物を抱えてそのまま行ったりすることもあったので「場違いかも……」と感じることもありました。

 

それでも、カメラテストの時には、20人ほどいた面接官の方々が私の発した言葉で笑顔になってくださって、それがとても嬉しかったです。最初に受けた試験で最終試験まで進めたものもあって、「もしかしたらなれるかも」と徐々に手応えを得られるようになっていったんです。

とはいえアナウンサーは狭き門です。内定をもらうまでの道のりは長かったのでは?

いくつか受けたのですが、最初に受けた2社は落ちてしまいました。

 

アナウンサーは声が大切なのに、最終試験の前日に熱を出して上手く声が出せない時もあって、「タイミングも悪いし運も悪い」とへこんだこともありましたね。それに、今考えると面接では着飾って背伸びしたことを話していたんです。

 

その後に受けた局では吹っ切れて、「今、何を考えていますか?」と聞かれたときには「油そばが食べたいです。」と答えました(笑)そんな風に等身大の自分で試験に臨みました。ありのままの自分で心から楽しむことが大事なんだと気付きましたね。

内定が出た瞬間はどんな気持ちでしたか?

17時までに内定の電話をすると言われていたのに来なかったので「落ちた」と思ってトイレにこもっていたんです。そうしたら17時を少し過ぎてから電話が来て、嬉しくて動けなくなってしまって、そこからまた1時間くらいトイレから出られませんでした(笑)

一番に報告したのは誰ですか?

部活の同期です。就職活動の影響で練習に出られない日もあって迷惑をかけることも多かったのですが、ずっと応援してくれていて私の報告にすごく喜んでくれたので嬉しかったです。

どうして自分が採用されたのか、思い当たることはありますか?

部活にバイトに勉学にと毎日マルチタスクをこなしながら生活していたので体力と気力には自信がありました。

 

面接では「今日は何時に起きましたか?」や「今日の予定を教えてください。」という質問に素直に詰め詰めの、忙しいスケジュールを答えていました。タフだという印象を持たれたのが良かったのかも知れません。朝が早いというのはマネージャーもアナウンサーも同じなので、これからの生活にも活かせそうだなと思っています。

 

あとは、私が採用試験を受けた年がちょうどラグビーワールドカップの年だったので、エントリーシートの特技の欄に『ハカ(マオリ族の舞踊。ラグビーニュージーランド代表が国際試合前に行うことで有名)』と書いたんです。そうしたら面接会場で「踊ってみて。」と何回も言われて。思い切り踊ったので、そこも評価してもらえたのかも知れませんね(笑)

春からは新生活。その胸の内は……

4月からはアナウンサーになりますが、不安なことはありますか?

茨城を離れて初めて一人暮らしをするんです。私はおっちょこちょいなので鍵の閉め忘れが心配ですし、洗濯機も部活動で使うちょっと古い洗濯機しか回したことがないし、料理もあまりしてこなかったので生きていけるか不安です……。

 

でも、楽しみなこともありますよ!今まで友達と東京で遊ぶときはみんながまだ寝ている時間に家を出たりしていたので、そういうのがなくなるのが結構嬉しいです(笑)家事はこれから鍛えていきます!

どんなアナウンサーになりたいですか?

ニュースでもバラエティでも番組の魅力を視聴者の方に届けられるアナウンサーになりたいです。アナウンサーはマネージャーと同じで画面の主役ではないからこそ、一歩引いたところで番組に貢献できるよう頑張りたいです。

 

在学中に留学をしてドイツ語も勉強してきたので外国に関する番組や、サッカー・ラグビーなどのスポーツにも触れてきたことを生かしてスポーツ番組にも関わらせていただきたいです。今まで生きてきて培った経験を出し切って、どんなジャンルの番組でも役に立てるアナウンサーを目指していきます。

 

元気を届けられるところがテレビの良いところの一つだと思うので、視聴者の方が家に帰る足を少し急いででも観たいと感じていただける、この番組を観るために今日も頑張ろうと思っていただけるような番組を目指して頑張りたいです。

最後にこの記事を読んでいる後輩たちにメッセージをお願いします!

興味を持ったことには積極的に飛び込んでほしいです。大学生は自分で選択できる機会が多いので、何か一つのことを極めるのも素敵ですし、あれこれ触れてみるのもいいと思います。自分が心から好きと思えるようなことを見つけてほしいですね!

 

例えば私は大学1年生の夏にニューヨークへダンス留学をしたのですが、その費用を全て自分で賄うために日本でもニューヨークに行ってからもアルバイトをしていました。ダンスにだけ集中できる友人と比べてしまい号泣したこともありましたが、「こんな経験ができるのはきっと自分だけだ、ドラマのヒロインのように楽しもう!」と思うようになってから、ダンススクールの先生にも「踊りにたくましさがある」と褒めてもらえたんです。

何でも楽しんでやってみる、という私にとって最良のベースを得ることができました。自分の基盤になることに気づけたらこれからの生活もより輝くと思います。充実した4年間を送ってください!



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美学生プロフィールProfile

プロフィールphotos

冨田 有紀 (とみたゆき) 上智大学外国語学部ドイツ語学科4年生

>お仕事を依頼する
生年月日
1998年5月8日
出身地
茨城県
憧れの人
出川哲朗さん
チャームポイント
まつ毛
性格を一言で表すと?
天真爛漫
異性を落とすコツは?
わかりません
主な活動
上智大学体育会ラグビー部マネージャー

担当カメラマン・インタビュアーCameraman & Interviewer

小森 すみれ

一人一人の笑顔を引き出しながら写真を撮ること、そしてなによりも楽しく撮影をしていきたいと思います。美学生図鑑を通しての新たな出会いと繋がりを常に楽しみにしています!

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