美学生インタビューInterview
色々な人と会って、色々な人の良い部分を見て、積極的になれた
大学に入ってから何かに打ち込んだことはありますか?
2回生のときに「DTL PARTY」のスタッフを半年間やってました。
年に1回、同志社大学の公認テニスサークルが20団体くらい集まっておこなうイベントで、ミスやミスターを選んだり一番のマッチョを決めたり(笑)あとは漫才やビンゴ大会なんかをしてサークル同士が交流する企画なんです。
前田さん自身はどういう役割を担当したんですか?
私はミス・ミスター部門を担当してました。参加する子たちが舞台で可愛く、カッコよく見えるように照明や音楽を流すタイミングを決めて、出演者の順番を考えたりするんです。あとは司会も担当してたので当日の流れを考えて台本も作りました。
どうしてDTL PARTYのスタッフをやろうと?
実は各サークルから絶対にスタッフを出さなきゃいけないんです。
私は京田辺キャンパスに通ってるんですけど今出川キャンパスと違っておとなしい子が多くて、みんなあんまりやりたがらなくて……。でも、先輩にお願いされて引き受けました。私も結構人見知りなんですけど今出川はもうみんなが友達同士って感じで、そこにポーンって放り込まれるのが最初はすごく不安でしたね。
実際に参加してみてどうでしたか?
いきなり知り合いが増えて色々な人と喋ることになるじゃないですか。でも、自分の考えがなかなか伝わってないなって思うことがあって苦しくなったことがありました。
ある企画があって、でも全然進まなくて、自分一人だけが頑張ってると思ってたんですけど、一緒にやってくれてる子がいて、その子はその子ですごく考えてくれてたのに私が全然気付いてなかったんです。結局はコミュニケーション不足だったんですよね。私は思ったことを自分の中に貯めちゃうタイプなのでちゃんと言葉で伝えなきゃダメだなって思いました。
スタッフをやって良かったなって思う瞬間はありましたか?
本番前日のリハーサルの時に思いましたね。それまでは大学の空き教室で活動してたんですけどあんまり臨場感がなくて。でも、会場に立つとみんないつも以上に頑張っていて、普段お調子者の子とかがすごく真面目な顔になっていたんです。
本番前に円陣組んでやるぞ!って気合を入れたときや後輩たちが舞台でキラキラしてるところを見たときに半年間頑張ってきて良かったなって思いました。みんなすごくニコニコしてて、楽しんでのるのが伝わってきたのでそれがすごく嬉しかったです。
今、振り返ってみてどうですか?
早すぎてビックリしました。一瞬でしたね。
充実感もそうなんですけど自分自身、思ったことを言えるようになりました。今までなら他人がどう思ってるか不安になっちゃうからそんなに友達増やさなくていいやってタイプだったんですけど、色々な人と出会って色々なことを聞いて色々な人の良い部分を見て、私も積極的になれたのが良かったかなって思います。
“苦しむ小さな子どもたちを助けたい”という想い
話は変わって、学部は理工学部ですよね?
ちょっと難しいんですけど「機能分子生命化学科」という化学系の学科です。身体の中のシステムやたんぱく質の構造を勉強したり、分子の構造を考えたりしてますね。「化学の根本は物理だからまず物理を勉強しないと化学はわからない」って言われるので今は基礎知識を勉強してます。
難しいことやってますね。どうして理系に進んだんですか?
「アレルギー」の研究がしたいなと思って。
高校の時、家庭科部でお菓子作りが好きだったんです。バレンタインにはチョコを手作りして交換してみんなでキャッキャキャッキャしてたんですけど、すごく仲の良かった友達が「私は食べられへんから」って言ってて。
その子がアレルギーだったんですか?
そうなんです。卵や牛乳がダメだったのでお菓子ってなると入っちゃうので食べられないんですよね。だから、卵や牛乳を使わないで作ってみようと思ってサラダ油や小麦粉を混ぜて作ったんですけど正直あんまりおいしくなくって。でも、その子はそれでもすごく喜んでくれたんですよ。
きっかけはその友達だったんですね。
その時にアレルギーの話も色々と聞きました。最近は小さい子の場合、原因の食べ物を避けるんじゃなくて、吐いちゃってかわいそうなんですけど慣れるよう食べさせるそうです。
私、ちっちゃい子どもが好きなのでそういう子たちが苦しまないようにとか、お母さんが安心できるような何かを開発できたらいいなと思って。それが今の学科を受験した理由です。
苦しんでいる人を助けてあげたいと。
そうですね。最初は本当に小さな想いで、子どもが好きだから漠然と小児医療や看護系に行きたいって考えてました。でも、ちゃんと考えたらやりたいのはそこじゃないなって。まさか理工学部に入るとは思ってなかったですけどね。
実際入ってみてどうですか?
しんどいです。大学生ってもっと遊んで授業もあんまり行かなくてもってイメージだったんですけど全然そんなことないし、毎週木曜日に実験をやってるんですけどそのレポートが本当に大変なんです。毎回、A4で15枚くらい提出しないといけないんですよ。
15枚……!それはキツイですね。
本気で理系やめたいって思うときがあります。たまに「向いてないんかな……」って思う瞬間もあるんですけど、私、浪人してるので「ここに来たかったしなぁ」ってその時のことを思い出して頑張ってます。
ダサい服装で友達にばったり再会 そんな浪人時代を乗り越えて
浪人してた頃、辛いことはありましたか?
予備校が梅田だったんで遊んでる友達に会ったことあって、それが一番しんどかったですね。
向こうは「久しぶり~!」って感じで声をかけてくれたんですけど、大学生なんで髪染めたり、ピアス開けたり、カバンも小さくてすごく楽しそうで。でも、こっちはそれで歩くの?みたいな朝起きてそのままな感じの服装で参考書入った大きなリュックを背負って……。“所属してるところがない”っていうのがすごく辛かったです。
どうやって乗り越えたんですか?
一番心に響いたのが塾の先生に「10代の頃に挫折しといて良かったね」って言われたことです。
部活はやってましたが家庭科部は運動部に比べたら緩いしゴールってないじゃないですか。スポーツならこの大会で1位を取るとか負けて取れなかったとか。そういうのも特になかったので現役のときに頑張りきれなかったのかなって思ってました。
挫折したことは今、自分の中で生きてますか?
別に調子に乗ってたわけじゃないんですけど一回失敗しといて良かったなって気持ちが大きいですかね。
同時に、自分はそんなに大したことないから頑張らなきゃいけないってことと、親に負担をかけてしまったなって感じました。塾も計算すると講座1回でも結構な金額やし、中高も私立だったんで親はいくらかけてくれたんやろうって。自分はそういうのに対してすごく甘かったんですけど、親はそんなこと私に一度も言ったことなくって。同志社に受かったときも「良かったね~!」って言ってくれてすごく感謝しました。
結構フワッと生きてきて世間知らずなところもあったけど、挫折の経験があって少しは現実を見られるようになったんじゃないかなって思ってます。
そんな浪人時代を乗り越えて、今の大学生活はどうですか?
今は友達や先輩、後輩、色々な人に恵まれて毎日新しい発見だらけです!予備校時代と変わってメイクしたり髪を染めたりもできるし、最近はサロンモデルも始めて大学生活は楽しくて仕方ないですね。
残り2年間の大学生活は仲間や周りの環境に感謝しながらたくさんのことに挑戦したいし、将来の夢やビジョンが見えるように努力をしていきたいです。