美学生インタビューInterview
1人で生きていく力が欲しい!両親を説得して一人暮らしを始めました
東京出身ということですが、関西にはいつから?
大学に入ってからです。一人暮らしをしたいなと思ったのがきっかけでした。
実家は都内の大学ならほぼ通える場所だったのですが、あえて関西の大学を選んだんです。大学生になったら自分でできることは自分でやってみたいなって。
両親に一人暮らしをしたいと言ったときの反応は?
早いうちから「指定校推薦で関西学院っていう大学があるんだよね~」って匂わせていたんですが、東京にも同じレベルの大学があるよって言われましたね。
それで、「自立したい。今までずっと頼ってきたし、家賃とかも含めてさらに頼ることになるけど自分で生きていける力が欲しい」ということを熱く語りました。
すぐにOKしてくれたんですか?
そんなことはなくて時間をかけて説得を続けました。
両親は2人とも反対で「考え直してみたら?」って他の大学も調べるよう言われたんですけど、私はあまり考え直しませんでしたね(笑)
関学の法学部は苦しいです
法学部の勉強はどうですか?
めちゃくちゃ大変です。言語の授業以外はほとんど法律についての講義ですね。
日本国憲法や民放、刑法、ビジネスに関する法律などなど全部同時並行で勉強するので本当に大変です。
好きな分野、嫌いな分野を教えてください。
犯罪に関する法律は刑事ドラマとかに出てくるじゃないですか。だからちょっと身近に感じて好きですね。
逆に、民法とかビジネストラブルに関する法律は私がまだ社会経験がないのでわからないことだらけです。
ある事案があったとして、それがどんな法律の何条に該当してどういう解決の仕方があるかという講義をポケット六法片手にずっと聞いてます。
今後、勉強したいと思う法律は?
まだわからないですね。でも、楽に単位が取れるゼミに入りたいです(笑)
覚えることがありすぎて、大学生になってこんなに勉強するとは思わなかったです。
他の学部とかなら、授業の出欠も取らないしテストも簡単で毎日楽に過ごしてる人もいるんですよね。こっちは頑張って勉強してるのに~!って思うことがあります(笑)
ただ、同じ学部の友達は優秀で、頭のキレる子たちに恵まれているのでとっても良い環境だと感じます。
将来はどんな仕事を目指してますか?
私の家系は教師になるか法律関係の仕事に就く人が多いです。
自分も法学部に入ったので将来は国家資格を取る方向も考えています。けれど、まだまだ知らない世界もあるので模索中ですね。
今は夫婦も共働きの時代だし、仕事をすることが好きなので職には就き続けたいと思います。
中学高校の6年間はずっと女子校だったので男の子に仕事を任せられる環境じゃなかったし、部活もガツガツやっていて結構厳しかったので耐え抜く力は備わったのかなと。根性だけはあります。
見た目によらずスポーツ大好き!今もランニングしています
どんな部活をやっていたんですか?
小学校から高校まで約10年間、野球とソフトボールをやっていました。運動が好きで、小さい頃からとにかく走っていました。
授業で野球をしたときに「楽しい、もっとやりたいな」って思って始めたのが最初です。小学生のときは男の子に混ざってプレーをしていました。
ポジションは?
中学高校とショートで4番を打っていました。背は大きくないですが、中学の頃はホームラン製造マシーンでした(笑)
ボールのコースを読んだり、相手投手や監督の采配を見て盗塁したり、頭を使ってプレーすることが好きでした。楽しかったですね。
トレーニングはどんなことを?
筋トレや体幹トレーニングは結構やっていましたよ。冬場は一日2時間くらいしか練習時間がないので夕方6時頃に部活が終わるんですが、その後トレーニングセンターへ行ったり、行かない日も4、5キロほどランニングしてました。
塾のある日は自宅に帰ってお風呂に入る前に走ることもあって、その名残で今も自宅近くを走ったりしています。
かなりハードですね。寝るのは何時くらいでしたか?
日付が変わる前くらいですかね。ずっとそんな生活をしてました。だから今でも腹筋は割れています。
現役のときはたくさん食べて太れ太れって言われてたんですよ。女の人が普通に食べる量の2倍くらい食べることもあったので、その消費と思ってトレーニングを頑張ってました。でも、頑張った分、ケガも多かったんです。
どんなケガをしました?
一番覚えてるのは大会直前の足首の骨折です。捕球の際につまずいて、違和感を感じたので病院に行ったら折れていました。象の足みたいに膨れてきてすごく痛かったです。復帰できるまで3ヵ月ほどかかりました。
他にもトレーニングのしすぎで肩や腰を痛めたこともありましたね。
リハビリは辛かったと思いますが、続けていく上で原動力になったのは何ですか?
もともと承認欲求が強く、指導してくれる人や後輩、家族に試合を楽しんでもらえるようなパフォーマンスをしたいと思ってプレーしていました。
ソフトボールは塁間が短いのでかなり技術がないとダブルプレーが取れないんですが、成功したときはセカンドの後輩と一緒に喜んでいましたね。
一番心に残ってるのは都で優勝したチームと対戦した時。最後にウチの投手が打たれて負けてしまったんですが途中まで勝っていて。
緊張感のある試合でヒットが出ると盛り上がるじゃないですか。アドレナリン放出!というか。
今でもそのときの感覚が甦ってきたりすることがありますね。