美学生インタビューInterview
陸上部時代の経験を生かしてトレーニングメニューを作っています!
フィールドホッケー部のマネージャーをしようと思ったきっかけを教えてください。
きっかけは、新歓で活動を見に行った時に先輩に声をかけてもらったことです。自分自身、高校までは陸上部に所属していたので、最初は運動ができる所を探していました。でも、ホッケーの団体で戦っている姿がカッコよくて、ここでマネージャーとして頑張りたいと思うようになったんです。
それに、中央大学の体育会はスポーツ推薦で入学してきた人が多い中で、フィールドホッケー部は全員が一般受験での入学で、初心者もたくさんいる部活なんです。だからこそ、いい意味で決まった形がなく、運営する代ごとに自分たちで部の在り方を作っていっていることにもマネージャーとしての魅力を感じました。
マネージャーとして具体的にどのような活動をしているんですか?
他のマネージャーと手分けをして、週に3、4回練習を見に行ってプレイヤーのサポートをしています。
あとは、自分自身の運動経験を生かして、筋力トレーニングや走るトレーニングのメニュー作りも任せてもらっています。フィールドホッケーはスティックを持ってずっと中腰で動く競技なので、腸腰筋という股関節の筋肉を鍛えることがすごく重要なんです。それに、さっきお話したようにフィールドホッケー部は一般受験で入ってきた人たちで構成されているので人数が少ないんですよね。1年生から戦力になってもらうために、受験でなまった身体を鍛えつつ、15分が4クオーターある試合を戦い抜ける持久力を高めてもらえるように自分の陸上部時代のメニューを生かして作っています。
マネージャーとして心がけていることはありますか?
プレーヤーと一緒に考え、一緒に成長していくことです。やっぱり部活はどこかマネージャーはマネージャー、プレーヤーはプレーヤーと分かれがちになってしまう部分があると思うんです。でも、私たちフィールドホッケー部は人数が少ないからこそ、全員が部の一員であるという意識を強く持って、意見を出し合って運営をしています。ミーティングでは思ったことは怯まずに積極的に発言するし、練習中に審判をするときも遠慮せずにファウルをしっかり出します。
では、マネージャーをやっていて良かったなと思った瞬間はありますか?
最近でいうと、この前おこなわれていた春リーグの順位決定戦で勝った時です。同点の末にサッカーでいうPK戦に突入して、最後ここで決めれば勝利!という場面で同期が決めた時は本当に嬉しかったです。この試合に負けてしまうと今所属している2部の残留をかけた試合にまわらないといけないという大事な試合だったので、一緒に頑張ってきて良かったなと心から思えました。
残りの部活動でマネージャーとして頑張りたいことを教えてください。
一人ひとりの個が強い部活を目指していきたいです。この春リーグのあとから、ついに自分たちが幹部を務める代になりました。私たちの代では、特に外部から来ていただいていただいでいる監督やコーチとの連携を強めていきたいと思っています。
というのも、毎日練習を見にきていただけるわけじゃないので、試合などで意見がすれ違ったりする場面がちょこちょこあったんです。今まで目を背けてきた部分ではあったんですが、監督やコーチの意見もしっかり取り入れつつ、普段練習している自分たちの意見もくみ取ってもらえるようにマネージャーとして全力でやり切りたいです。
ポジティブさを生かしてアナウンサーという夢を叶えたい!
ポジティブな性格は小さい頃からですか?
そうなんです!母親が自分以上に明るい人で、昔から家でネガティブな発言を聞くことがありませんでした。母親から「興味を持ったらなんでもやってみなさい。でも、始めたことには自分で責任を持ちなさい。」と言われて育ってきたのを覚えています。
それに私自身小さい頃から、器用なタイプではないけれど、コツコツやっていると上手くいく経験が多かったように思います。自分でも便利な性格してるなと思うのですが、10個嫌なことがあったとしても1個いいことがあると、嫌なことを忘れてしまうんですよね(笑)
羨ましいです(笑)これまでの人生で挫折した経験は一度も無かったんですか?
それでいうと、高校3年生の時に左膝の前十字靭帯を切ってしまったことがあって、その時はさすがに人生で一番落ち込みましたし、悩みました。陸上部で高跳びをしていて、最後のインターハイ予選の前に切ってしまったんです。
手術して復帰するという選択肢もあったのですが、同時にアナウンサーという小さい頃からの夢を叶えるべくどうしても東京の大学に進学したいという思いも強くあったので、最終的に部活を諦め受験に切り替えるという選択をしました。3年間やり切ることを目標にしていたので今でも心残りは少しありますが、中央大学に合格できたので結果オーライだったのかなと思っています。
小さい頃からアナウンサーになりたかったんですね!きっかけは何だったんですか?
小学生の時にテレビで緊急地震速報を聞いたことです。東日本大震災の後に起きた三陸沖の地震の時に、アナウンサーの方が「東日本大震災を思い出してください!」と声色を変えて話していました。地元のいつも同じ時間にニュースを読んでいる方だったのですが、その声を聴いた時に地震から離れた所にいる自分でも危険だというのがすぐに伝わってきて、この人はこの一言で何人の人を助けたんだろう?と小学生ながらに言葉の影響力に感銘を受けました。
あとは、2個下の妹の影響も大きいです。妹は器械体操でオリンピックを目指していて、将来、妹がオリンピックに出場して、その活躍を私がアナウンサーとして伝えようとお互い昔から言い合っています。どっちかが心が折れそうなときはもう片方が助ける、本当にいい関係性だと思います。今、妹は怪我で落ち込んでいるので私が結果を残して励ませたらと思っています。
笠原さんは現在3年生。アナウンサー就活真っ只中ですね。
そうなんです。実際インターンなどに行ってみて、自分と同じようにアナウンサーを目指している人たちに会ってものすごく刺激を受けています。上手くいかないことも多いですが、小学生の頃からの夢なので自分の良さであるポジティブさを忘れず、精一杯頑張りたいと思います!