美学生インタビューInterview
家族の反対、予期せぬ追加審査 NMB48になるまでの険しい道のり
嶋崎さんはNMB48の4期生メンバーとして活動していましたよね。そもそもオーディションに応募したきっかけは何だったんですか?
母の友人がオーディションの広告を雑誌で見つけたことがきっかけで応募しました。
応募当時、私は小学生だったんですけど、48グループが大ブームで、いつテレビを見てもメンバーが活躍しているし、学校の友達もみんな48グループのファンで、毎日の話の種になっていたんです。応募した時はまさか自分が受かるなんて考えてもいませんでしたし、アイドルへの強い憧れがあったわけでもなかったんです。学校の友達とオーディションあるみたいだね、と話していて流行りに乗って応募してみた感じですね。
ただ、アイドル活動に興味がなかったわけではないんです。実は小学4年生の時に、通っていた大阪のダンススクールの発表会で芸能事務所の方に「アーティスト活動を始めないか?」とスカウトしていただいたことがあったんです。人前に立つことが好きだし挑戦したかったんですけど、その時は親の承諾を得られなくて。
だからずっとアイドルを目指していたわけではないけれど、かつてチャンスがあったのに掴めなかった後悔のような、未練のような想いを抱えていたんです。
その時はチャンスを逃さざるを得なかったんですね。
両親が「勉強第一」みたいな教育方針で、きちんと学校に通って良い成績を収めることが絶対条件だったんですよね。芸能活動を始めたら成績が落ちていくことが目に見えていたので。
NMB48のオーディションも、母の友人が広告を見つけてくれたのは良かったものの、父はあまり乗り気ではなくて、「塾のテストで1位を取ったら受けていいよ。」と言われました。それから必死に勉強してなんとか1位を取り、オーディションに臨みました。
オーディションではどんな審査があるんですか?
1次審査から4次審査まであって、それぞれ書類審査、面接審査、ダンス審査、歌唱審査があります。
ダンス経験者ということもあり、なんとか3次審査までは通過することができました。でも、歌うことに苦手意識があったので4次の歌唱審査で落ちると思っていたんです。しかも、4次審査からは総合プロデューサーの秋元康さんがいらっしゃるので今までにない緊張感があるんですよ。他の候補生は基本ワンコーラスくらい歌って音楽を止められるんですけど、私はサビ前で切られてしまって(笑)他の人よりかなり早かったんですよね。
だから絶対に落選したと思っていたので、合格者として名前が呼ばれたときは嬉しさより「何かの間違いかな?」と思っていました(笑)嬉しいという気持ちが込みあげてこないくらいその場では実感が湧いてこなかったんです。
いつ実感が湧いてきたんですか?
4次審査が終わった数か月後ですね。というのも、オーディションは4次審査までと公表されていたのですが、そのあとに「セレクション審査」という追加審査があったので、正確にいうとまだ加入決定ではなかったんですよ。簡単にいうとグループのメンバーとして活躍する見込みを測る審査です。
たとえどんなにダンスや歌などのパフォーマンス力が優れていても、「見込みがない」と判断されればデビューへの道は立たれてしまうんです。おそらく成長度とかも見られていたんじゃないですかね。
もともとダンスや歌が上手な子って、未経験の子に比べてスキルはあっても審査期間中の成長度は小さいと思うんです。私はダンス経験者だったので、先輩のパフォーマンスを見て曲調に合った表情を学んだり、歌詞の意味を調べたりするなど、ダンススキル以外の面を重点的に磨きました。周りの候補生がどんどん成長していることへの焦りもありましたが、それ以上に“昨日の自分との戦い”でした。
追加審査なんてあるんですね?!相当過酷だったんじゃないですか?
何が辛いかって、このセレクション審査はいつ終わるのかがわからなくて、ある日いきなり審査終了を告げられるんですよね。「いつまで続くんだろう?」「自分は合格できるんだろうか?」という不安な気持ちがつきまとう、終わりの見えない審査でした。
結局、セレクション審査は約1か月間に及びました。
かなり長い期間ですね……!
とても長く感じました。でも、その期間にアイドル活動をする上での基礎的なことを一から教えていただきました。例えば、歌のレコーディングがあるから炭酸飲料はNGで常温の飲み物しか飲まないとか。あとは挨拶は何時でも「おはようございます」とか先輩の前を通るときは挨拶するとか、小学生ながら色々な社会勉強をしました。もちろん、完璧には出来ていなかったと思います。見よう見まねで年上のメンバーを参考にしていました。
あと、この過酷なセレクション審査の期間にメンバーとかなり仲良くなれました。みんな大きなプレッシャーを感じながらも声を掛け合い、助け合いながらオーディションを乗り越えたので、その時に家族意識のようなものが芽生えました(笑)
悔しくも美しい思い出と、変わり続ける勇気
当時の48グループは総選挙の順位や研究生からの昇格など、結果が如実に現れる厳しい環境にあったと思います。他のメンバーと比べてしまうことはありましたか?
実は、総選挙だけじゃなくてシングルが発売されるごとにNMB48の中で順位的なものが発表されるんです。研究生の楽曲もあるので、選抜メンバー間の順位だけじゃなくて、研究生の中の順位も発表されるんですよ。それで悔しい思いもしたんですけど、当時小・中学生だった私にはどう行動に移したら結果が伸びるのかわからなくて。「あの時こうすれば良かった」って今ならわかるんですけど当時の私には難しすぎました。目の前のことをがむしゃらにやるしかなかったですね。
ただ、同期が選抜メンバーに選ばれたり注目を浴びている姿を見るのはすごく嬉しかったんですよね。必死に努力していることを知っているので素直に嬉しいし、「報われて良かった」という想いでした。「あの子が頑張ってるから自分も頑張ろう!」とむしろモチベーションになりましたね。もちろんライバル意識はあるんですけど、バチバチ感は全くなくて、お互いに刺激を与え、高め合う良きライバルです!
NMB48として色々な経験をしてきたと思います。一番思い出に残っていることは何ですか?
AKB48グループ研究生 武道館公演『推しメン早い者勝ち』が一番記憶に残っています。48グループの研究生だけで創り上げるコンサートで、いつもは先輩がメインだけどこの公演は私たち研究生がメインなんです。いつも前に立ってグループを引っ張ってくださる先輩がいない分、「自分たちの力で成功させないと!」という気持ちが強く芽生えて、いつも以上に気合が入りました。
やりきった時の達成感も段違いでしたね。普段はNMB48の楽曲しか披露する機会がほとんどないんですけど、このコンサートでは姉妹グループの曲を踊る機会があってすごく楽しかったです!
あと、NMB48が紅白歌合戦に単独初出場した際に4期生もステージに立たせてもらったんです。その時のことも鮮明に覚えています。当時4期生は加入したばかりだったのですが、先輩方の「やっと紅白への切符を掴んだ!」という想いが身に沁みました。そんな先輩方の背中を見て、グループの一員であることを誇りに思いましたし、もっと頑張りたいと思いました。
そんな中、2014年に卒業を発表。13歳という若さでグループ卒業という大きな決断を下すのはすごく勇気がいることだったと思います。当時の心境を教えてください。
NMB48の活動を辞めたいと思ったことは一度もありません。ただ、自分の人生を長い目で見たときに、このままでは他の目標を達成できないと思ったんです。幼い頃からの親の教育があったし、自分の中でもやっぱり勉強も頑張りたかったので。とにかく、このままでは目標の高校に進めないと思いました。将来的に長く芸能のお仕事を続けたいと考えたときも、教養があった方が良いと子どもながらに感じていたんです。
なので「学業専念」という理由で卒業を決めました。もう一度グループに戻ることは難しいとしても、芸能活動は努力次第で学業に専念した後でもできると思ったんですよね。
卒業発表までに家族や運営の方と何度も話し合いを重ね、決意を固めてきたので迷いはなかったんですけど、発表したその瞬間は「とうとう言っちゃった……」と思いました。後悔の念に駆られたわけではなく、もう後戻りはできないから前に進もう、と改めて決心しました。
卒業発表をした時、メンバーはどんな反応をしていましたか?
卒業発表を事前に相談していたのは、同期で当時チームNに所属していた西村愛華ちゃんだけで、他のメンバーには伝えていなかったんです。愛華ちゃんには伝えておきたかったという想いがあったのと、同じ研究生の子に伝えると仕事に影響が出てしまう可能性があると思って……。
4期生からは初めての卒業発表だったので、驚かせてしまいましたし、泣いてくれたメンバーもいました。寂しいと思ってくれてたのかな……。でも、みんな「ももりんが決めたことだから頑張ってね。」と応援してくれました!
いざグループを離れてみて感じたことはありますか?
本当にNMB48のことが大好きだったので、ごく普通の中学生に戻って心にぽっかり穴が空いたような感覚になりました。でも、このまま過ごしていても時間が勿体無いし、卒業という決断が無駄になってしまうと思ったので空いた穴を勉強で埋めました。
今でもメンバーとのつながりは変わらないです。卒業してからも何度かメンバーと会っていて、「最近、勉強どう?」と気にかけてくれたりしました。劇場公演やコンサートにも何度か足を運びましたし、歌番組やSNSも欠かさずチェックしています!
卒業しても変わらずNMB48が大好きですし、応援しています。
宝くじ「幸運の女神」として幸運と夢の橋渡しをしています!
NMB48卒業後は表に出ていない期間もあったんですよね?
そうですね。アイドルとして活動していた時は頻繁にSNSを更新していたんですけど、卒業してからは1か月に1回くらいしか更新できないこともありました。あと、握手会やコンサートで直接ファンの皆さんにお会いすることができていた時期と比べると、距離感は生まれてしまったと思います……。
当時のファンの皆さんは、きっと嶋崎さんが「今、何をしているのか」「今、何を思っているか」が気になると思います。嶋崎さんの“今”を教えてください。
今は、人の心を動かすきっかけづくりをしたいと考えています。そして今年の4月から、宝くじ「幸運の女神」としての活動をスタートしました!
大学4年生になって、残り1年の学生生活で何か新しいことを始めたいと思っていた時に、全国各地を訪問しながら宝くじのPR活動をおこなう、宝くじ「幸運の女神」の募集を見かけました。
コロナ禍のため、大学生活の中で東京と地元の大阪以外の場所にほとんど行くことができなかったんです。色々な場所を訪問して視野を広げたり、新しい価値観を見出したいと思い応募しました。
具体的にどんな活動をしているんですか?
主にテレビ局やラジオ局にお邪魔して宝くじのPRをしたり、売り場に立ってお客様とコミュニケーションをとったりします。宝くじ「幸運の女神」には『幸運と夢の橋渡し役』というキャッチフレーズがあって、私たちの役割は宝くじを通して夢や笑顔を届けることなんです。
任期は1年間で、まだ活動を始めて1か月(※取材時期は5月)ですが、既に岡山県や長野県など10県ほど訪問しました。行ったことのない土地を訪れ、その地域に暮らす方々とお話する中で素敵な学びや出逢いがありました!
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実際に岡山県を訪問している時に、通りすがりの地域の方が「せっかく幸運の女神に会えたから宝くじ買ってみるよ。」と言ってくれたんです。そうやって宝くじを買ったことのない方が私を見て買ってみようと思ってくれた時は嬉しかったですね。まだ始まったばかりですが、これからも頑張ろうと思えました。
宝くじって、ただ当選を願って買っていただくのではなく「当たったら何に使おう?」とか“夢を買っていただくもの”でもあると思うんです。宝くじファンの方にはもちろんなんですけど、これまでに買ったことのない方に向けても夢を抱くきっかけづくりができるよう心がけています。コロナの影響でどんよりした空気の中で、笑顔になるきっかけが宝くじだといいなと思いますね。
これまでの色々な活動を通して気づいたのですが、私は人の心を動かすことが好きなんですよ。そのきっかけはやっぱりNMB48です。私が一言発信することによって「明日も頑張れる」と言ってくださる方がいたり、落ち込んでいた方が「救われた」と言ってくれたり。私の活動が誰かのためになっているんだ、自己満足じゃないんだ、と気づけたことがすごく嬉しかったんです。もちろん自分自身すごく楽しんで活動していたんですけど、それ以上に誰かの支えになっているということが私の中でモチベーションになっていました。
「心を動かす」って相手がいて成り立つことじゃないですか。ファンの方が私を見ていてくれたおかげで私も心を動かすきっかけづくりができましたし、心を動かすことの喜びや楽しさを発見しました。宝くじ「幸運の女神」としての活動やSNSの発信、アイドル活動など様々な手段がありますが、どんな方法であれたくさんの人の心を動かしたいし、これからも続けていきたいと思っています。
今後の目標はありますか?
SNSやインターネットを通してオンライン上で人の心を動かしていきたいと思っています。もちろんコンサートや握手会のように、実際に会って人の心を動かすことももちろん素敵だし、これからもできる機会があればやりたいとは思っています。
でも、直接会うことはなかなか物理的に難しいこともあるんですよね。デジタルの力を使えば、より多くの方と接することができると思うんです。間接的だけどより多くの人に、より近くに感じてもらいたいです。
表に出る活動を続けることで、昔からずっと応援し続けてくださる方に喜んでもらえることも今の私の活動の糧になっています。今後のことなのでまだわかりませんが、大学を卒業しても皆さんとの繋がりが続けばいいな、と思っています!