美学生インタビューInterview
努力を無駄にしたくない!12年間もがいたIB資格取得への道
これまでの人生で力を入れてきたことを教えてください。
英語の勉強です!当時、外資系勤務の母に勧められたことが始めたきっかけでした。
幼稚園生の頃は東京から群馬までIB資格の認定校専用の塾に週1で、小中高の12年間は母と2人で群馬に住み、その認定校に通って勉強していました。
英語の勉強のために幼い頃から遠くまで通っていたんですね。ちなみに「IB資格」とは……?
「国際バカロレア資格」というもので、世界共通の教育プログラムです。認定校ではIB資格を持った先生が、日本人の子が日本の学校で学ぶように、英語圏の子が学ぶことを日本で教えてくれるんです。
使用する言語は9割英語ですが、母語である日本語も疎かにならないように授業を英語と日本語の両方で受ける仕組みになっているため、インターナショナルスクールとは異なって高卒認定試験を取らなくていいんです。
授業と高3で受ける試験に加えて、IB資格を取得するためには課外活動も必須だったので、私は中高6年間でオーストラリア、中国、ポーランド、ドイツ、カナダ、アメリカのサンディエゴと、約1か月間の留学を計6回経験しました。
ポーランドでは収容所へ行き、ホロコーストについての学びを深め、未来の平和を願うマーチに参加しました。そして中国では、ディベートの世界大会に参加し、シルバーメダルを獲得しました。
幼い頃からずっと英語に囲まれた生活だったんですね。
結構厳しくて、日本語の授業以外は休み時間であっても英語を話さなければならず、日本語を話していると親に報告されてしまうこともありました。周りには帰国子女やハーフの子など英語経験が豊富な子も多く、小4で英検2級取得が当たり前くらいのレベルの環境だったので、向いていないと感じて中学生くらいで辞めちゃう子も多かったです。
私自身も英語が向いてないかも、それなのに進んでしまってどうしようとネガティブに思ったり、上には上がいることを実感したりと辛いこともたくさんありました。でも、親に褒めてもらいたいという気持ちと、とにかくここまでずっと頑張ってきたこの努力を無駄にしたくないという必死の思いでなんとか続けてきたという感じでした。
高3で受けたIB試験はどうでしたか?
小中高12年間の集大成という感じでしたね。私立の特別な教育の学校に通わせてもらってまで勉強してきて、これで取れなかったら行った意味がない、とプレッシャーを強く感じました。
科目は国語、数学、理科、美術、哲学という6教科なのですが、暗記というより、答えのない創造性を見るようなものが多かったので、ひたすら色々な物語を読んだり、説得力のある意見を言えるようにしたり、雑学を学んでとにかく引き出しを増やしたりするようにして臨みました。
合格した時はどんな心境でしたか?
「やっと終わった!」という気持ちが強かったです。それと周りも先生も、とにかくお疲れ様とものすごく褒めてくれて、結果だけにこだわるのではなく、そこまでの過程も大切に思ってくれたのが嬉しかったです。
ここまで頑張ってきた英語を強みにしたいし、そんな自分を肯定してあげたいという気持ちも強くあります。
12年間の努力が形になって良かったですね!その後、大学はどのような観点で選んだのですか?
大学は指定校推薦で決めたのですが、進学した法政のグローバル教養学部は英語の授業が少人数制で、ディスカッションやプレゼンなどの授業が多いところに惹かれました。小中高とは異なって圧迫感がなく、肩の力を入れずとも能動的に学べる環境なんです。
ちなみに大学に入ってから、日常生活でも英語力が役に立ったことがありました!携帯ショップでのアルバイトで外国人の方に英語で対応できたり、インスタグラムやライブ配信で英語で自己紹介をしたり感謝の気持ちを伝えられたりしたことで、海外の方にも応援してもらえるようになったんです!
有名になりたい<<<自分の憧れの女の子に近づきたい
大学生活の中で頑張ったことはありますか?
2年生の時に出場した、college選抜コンテストというミスコン活動です。代表の方からインスタグラムでお誘いのDMを頂いたことがきっかけだったのですが、その方が初めて自分から連絡したのが私だったみたいなので、その期待に応えたいという気持ちが湧いたんです。
それとミスコンに出ている方を見てみんなキラキラしてていいな思ったし、法政にはミスコンがないので、ここがチャンスだという思いもありました。
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ミスコンには以前から興味を持っていたんですか?
出場しようとか、具体的に女優やモデルになりたいと思っていたわけではなかったのですが、幼い頃からアイドルが好きで、宮脇咲良さんみたいに可愛いけど媚びていなくて女性ファンが多いような女性から好かれる女性に憧れていましたね。
高校生くらいから芸能界にも興味を持ち始め、1年生の3月からは事務所に所属していました。
それならミスコン出場は、憧れの世界にさらに近づく良いきっかけだったんですね。
でも、始まってから3か月くらいは友達に言えませんでした。内気でこういうことをやるキャラじゃないし、大学デビューだと思われて友達が離れていかないかなと心配だったんです。そもそも私がこういった活動をしたいと思うのは、表に出たいとか目立ちたいというよりも、憧れの人に近づきたいという気持ちからなんですよね。
事務所に所属する時でさえも、本当は無名でも、誰にも言わずに活動ができるならいいと思っていて。でも、それを伝えたら、今は知名度が必要だと言われてしまったんですけどね(笑)なので私は、こういった活動をする手段として有名になろうとしているという感じなんです。
有名になりたいという気持ちが強い人が多いかと思っていたのですが、そうではなかったんですね。コンテストでは審査員特別賞を受賞しましたが、この結果についてはどのように受け止めましたか?
ライブ配信にもっと力を入れるべきだったな、と。というのも、私はSNSのフォロワー数が多く、グランプリになると予想してくれる方も多かったんです。でも、ライブ配信で得点が稼げずにグランプリを逃してしまったんですよね。
SNSには結構、力を入れていたんです。テスト期間などの忙しいときも事前に10個くらい下書きを作って時間を予約しておいて、毎日写真などを投稿したり、とにかくチャンスを逃さないように更新していました。
でも、配信はボロ負けだったんです……。配信歴が長くて以前からファンの方がついているような方もいて、そういった方は24時間配信などもやっていたのですが、自分は新規参入で配信時間も足りていなかったんですよね。得点はSNSが25%なのに対して配信は35%と比重が大きく、もっと頑張れば良かったなとは思いました。
そんな反省点があったんですね。出場してみて良かったことはありますか?
結果には直結しなかったし、お出掛けや撮影など時間がかかることが多かったのですが、形に残ることなのでSNSは頑張っておいて良かったなと思います。
昔は自分のことを人に知られたり、ナルシストだと思われたりしないかが怖くてSNSはできなかったし、すごく臆病だったのですが、今は撮影など自分主導で何かを表現することがすごく楽しいと思うようになりました。
人前に出ることで、応援してくれるファンの方ができて、その方たちの存在や応援が自分のモチベーションにもなると実感したし、このおかげで将来目標とする方向性も定まりました。
一歩踏み出したことでやりたいことが明確になったんですね!では、理想の将来像について聞かせてください。
雑誌やアパレルのイメージモデルなどのモデル活動をすることです。この服を着てみたい!とか真似したい!と思ってもらえるような、女の子の憧れる女の子になりたいですね。
現在も『Cummel』というお洋服のブランド、「VASARA」という着物ブランドや「AIMER」というドレスのブランドの広告モデルを務めています。
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ただ、モデル活動だけではなく、これまで頑張ってきた英語を活かして外資系の会社にも勤めて両立できたらいいなと思っています。
全く異なる性質の仕事で、まさに二足の草鞋というやつですね!両立するための具体的なプランはありますか?
外資の会社、中でもできれば普遍的でどんなときでも衰退せず、新しいことにも挑戦できる金融がいいなと思っています。海外に関する役割を担ってグローバルに活躍する国際人になりたいです。
外資だとフレックス勤務だと思うので、自由な時間を作ってモデル活動や、グルメ紹介などをするインフルエンサー、日本の思いやりやおもてなしの文化を広めるような存在の人になりたいです。
もちろんどっちかに振り切るのもいいと思うのですが、フワちゃんが言っていた、「どっちにも振り切れなかったらどっちもやる、何かをするのに他のことをやめる必要はない」という言葉を信じて、今は自分の好きなことどっちも強みにして頑張っていきたいと考えています!