美学生インタビューInterview
SNSよりも身近な人たちにとの関わりを大切にしたい
ミス神戸学院2019グランプリ受賞おめでとうございます!出場を意識し始めたのはいつからですか?
最初にミスコンの存在を知ったのは1回生の時です。
友達と甲南大学の学園祭に行った時になんとなくミスコンのステージを見に行ったんですよ。そこで一人のファイナリストの方が応援してくれた人たちへのメッセージを込めて歌を歌っていて、まったく知らない人だったんですけどものすごく感動したんです!
身近な人に感謝の気持ちを伝える機会ってこの年ごろになったらなかなかないじゃないですか?その時、「ミスコンっていいな」って興味を持ち始めました。
翌年には高校の先輩がミスコンに出場したりと少しずつミスコンの存在が身近に感じられて、憧れの気持ちが少しずつ膨らんでいきました。そして去年、出場を迷っていた時にちょうどミスコンの実行委員の方から声をかけてもらったんです。
みんながみんな経験できることじゃないし、学生のあいだに何かに全力で打ち込みたいと思って出場を決意しました。
ファイナリストとしての活動はどうでしたか?
Web投票のためにSNSのアカウントを作ってPR活動をしていたんですけど、神戸学院大学のミスコンは知名度が低いし、他のミスコンと違ってイベントに参加したり他大学と交流したりすることもなかったから、どうやったら自分のことをより多くの人に知ってもらえるやろう?っていうのが課題でした。
なので、毎日投稿を頑張ったり、ハッシュタグを多くつけたり、SNSを見る人が多い時間帯に投稿したり、色々と工夫しましたね。
他大学の出場者の活動をチェックして、知名度が高い人と低い人の違いを自分なりに研究したりもしました。
もちろん、真似するだけじゃ駄目。型に沿うことは簡単だけど、それを壊していかないと上にはいけないと思っています。だから、万人受けじゃなくてちゃんと自分にしかないものを伝えていって、“風花らしさ”を好きになってくれるファンを増やしていこうというのは意識していました。
SNS活動で苦労したことはありますか?
いわゆるアンチと呼ばれるような人が何人かいて……あることないこと言われたり、「ミスコン出場者らしくないですね」ってコメントをもらうこともありました。私、自分で言うのもあれなんですけど、上品じゃないんですよ。大声で笑うし、関西弁で喋るのもきつく感じられるみたいで(笑)
アンチコメントがあっても私は私らしく!って思って気にしないように強気でいるようにしてたんですけど、どうしても視界に入っちゃうんで、疲れてるときに見ると心が押しつぶされそうにもなりました。それでも、落ち込んでたらアンチの思い通りになってまうから気分を紛らわせて平常心を保っていましたね。
ミスコン本番はどうでしたか?
特技披露が1分間とスピーチが30秒っていうめちゃくちゃ短いパフォーマンス時間だったんですけど、見に来てくれた友達に感謝の気持ちを伝えました。
自分がどれだけ1位になりたいと願ってもみんなの思いがなければグランプリはとれないということ。そして、友達の前では「ミスコンファイナリスト」ではなく「柿木風花」でいることができたし、みんなの存在が心の拠り所だったということ。その支えがあったから今日この日を迎えることができたこと。「いつもありがとう」という気持ちを。
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グランプリ発表された時は泣きましたね。友達がステージに向かって大きな声で「おめでとう!」「よく頑張った!」って言ってくれて、それを聞いたら涙がこみ上げてきました。
現在はMiss of Miss(全国のミスキャンパスの中からNo.1を決めるコンテスト)に出場していますね。どんな思いでファイナルを目指しますか?
私は、身近な人たちとの関わりを大切にしたいと思っています。
ミスコンに出場してる人の中には私生活よりもSNSに軸を置く人もいると思うんです。でも、本当に大切なのは友達だったり、周りにいる人たちだと私は思うんですよ。友達との関係を疎かにしてまでミスコンに専念するのは本末転倒かなって思うし、私は自分を大切にしてくれる人たちを大切にしていたい。その気持ちを忘れずに活動を続けていきたいです。
もちろんSNSで応援してくれるファンの方も大切な存在です。ファンの方たちに直接ありがとうの気持ちを伝えるためにも、ファイナリストに残って、3月に決勝のステージに立つことが今の目標です!
「全国大会には出場させない」苦難を乗り越え悲願の日本一に
ミスコンのポータルサイトに「今まで一番うれしかったこと:ダンスで日本一を受賞出来たこと」と書いてるのを見ました。
そうなんです!高校3年間、ダンス部で創作ダンスをやっていました。
「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」という大会に毎年出場していて、1年生の時は審査員賞、2年生の時は全国2位に値する日本女子体育連盟会長賞をいただき、3年生の最後の全国大会で悲願の日本一になることができました!
そもそも何故、ダンス部に入ろうと?
中学3年生の時に、その高校のダンス部の25周年記念公演のチケットをもらって母と一緒に観に行ったんです。その公演が本当に感動的で……!
「創作ダンス」って社会に対して訴えたいことを身体で表現するものなんですけど、自分の感情を言葉じゃなくて踊りで、しかも大勢で作品を創り上げるっていうところに心惹かれました。
ダンスは未経験だったんですけど、「自分も創作ダンスに全力で取り組みたい!」と思ってその高校に入学することに決めました。
社会に対して訴えたいことを身体で表現する、って難しそうですね。
社会問題について部員みんなでたくさん考えて話し合って、伝えたいことを軸に構成や踊りを創っていくんです。この感情はこう身体で表現しよう、って。
例えば、高校3年生で日本一になった時の作品は、宮沢賢治の考え方を軸にしました。
現代社会は利己的な人が多くて、電車で座席を譲らないし、みんな時間に追われている。自分しか見えてないし、自分すら見えてない。戦争や犯罪が起こる原因は、皆が自分しか考えてないから。そういう時代に必要なのは、「世界全体の幸せのために、隣の人から幸せにしていこう」という宮沢賢治の考え方なのではないか、ということを創作ダンスで表現しました。
すごく奥が深いですね。日本一になるまでに苦労したことはありますか?
入学した時に「絶対に日本一をとろう」って同学年の仲間と話していて、1、2年生の時も惜しいところまでは行ったんですが目標を達成することができなくて。
それで、3年生になって「もう一度、日本一を目指そう!」って気持ちを立て直して最後の大会に向けて作品を創り上げて、ひとまず予選を通過したんです。
でも、その後に実は、部活内で揉め事が起こって……部員同士の不仲が原因で、校長先生から「全国大会には出場させない」って言われてしまったんですよ。
それは大変ですね。
「ここまで頑張って積み上げてきたのにどうして……?」と憤ると同時に、作品を創ることに精一杯で部活全体の統率をとれていなかった自分たちの責任も感じました。
結局、顧問の先生が必死に説得してくださって大会には出られることになったんですけど、「基盤がちゃんとしてないのに『日本一』とか言ってる場合じゃない!」と最初はまったく踊らせてもらえず、「何のために部活をしてるんやろう?」っていうのをみんなで一から見直すことに時間を割きました。予選から決勝まで3か月間あったんですけど、1か月はそれに費やしましたね。
予選と決勝では違う作品を披露しなくてはいけないので、残りの2か月で曲と構成を考えて踊りを完成させて……あの時が一番大変でした。
そんな苦難を乗り越え、全国の頂点に。どんな気持ちでしたか?
顧問の先生に結果で恩返しすることができたのが本当に嬉しかったです!
あと、最優秀作品はNHKで5分間まるごと放送してもらえるんですよ。1位以外の作品はカットされて一部分しか取り上げてもらえないんです。自分たちが心血注いで創り上げたダンスは絶対に全部放送してもらいたいと思っていたので、その願いが叶って良かったです。
創作ダンスを通して、表現すること・挑戦することを恐れなくなりました。ダンス部で過ごした3年間は私にとって大きな財産です!