美学生インタビューInterview
諦めずに努力を続ければ必ずどこかで報われる
以前からミスコンには興味がありましたか?
ミスコンは「アナウンサーの登竜門」と言われるので、以前から出場したい気持ちがありました。それで、今年たまたまミスコンの運営団体の方とお話する機会があって「良かったら出てみませんか?」とお誘いを受けたので、喜んで応募しましたね。
実際にファイナリストに選ばれた時には人生で初めて嬉し泣きしました。実は、アナウンサーの足がかりになればと2年前に『FRESH CAMPUS CONTEST 2017』(全国の新入生を対象としたミスコン 。以下、フレキャン)にも応募したんですけど、その時はセミファイナル止まりだったんです。それも相まって涙が溢れましたね。
候補者お披露目イベントでも舞台から見た景色に感動して泣いてしまいました。泣いてばかりですね(笑)
フレキャンからどのような教訓を得ましたか?
まず、自分を見てもらう場をもっと増やす必要があることに気づきました。なので2年間、色々なコミュニティに属して交友関係を広げましたね。例えば、新しいバイトを始めたり、サークルに必ず行くように心がけたり、イベントごとに積極的に参加したりしました。
「彩織はこういうところが良くて、こういうところがだめだよ」というように客観的な意見を聞く機会をたくさん得られたので、外見も内面も成長できたと思います。
あと、配信アプリで手を抜いてしまったことが敗因の一つだと考えました。最後に焦って追い込みをかけても、ずっと前から配信をしていた人たちには敵わない。だから、今はLINELIVEに力を入れています。
最初からコツコツと配信を重ねた甲斐あって、他大学と合同のLINELIVEイベント『大学生ミスコン2019スタートダッシュイベント』では4位になることができました!
反省をしっかりと活かせてますね。では、ミスコン本選への意気込みを教えてください。
私は根性がある方だと思うので、本番では「この子は絶対に諦めないな」と思っていただけるような姿を見せたいです。実は、LINELIVEのイベントも最終日を目の前に9位まで順位を落としたんですよ。でも、諦めずに最終日も配信をしたら、イベント終了直前で4位まで上がって、最後まで努力して良かったと思えました。
もちろん、報われない努力もありますよね。例えば、私は早稲田大学に行きたかったんですけど、中央大学に進学することになりました。努力したけど報われなかった。でも、早稲田大学にはミスコンがないので、中央大学に進学したからこそ今、ミスコンに出場することができているんです。
努力が自分の望む結果に見合わなかったとしても、絶対に違うところで繋がると思っているので、これからも諦めずに努力をしていきたいですね。
8年以上も冷めないアナウンサーへの憧れ
アナウンサーに憧れを持ったのはいつからですか?
東日本大震災を経験した小学6年生の時です。いつもと全く違う様子の家の中で過ごした夜はとても不安でした。
そんな時につけたテレビのアナウンサーが話していた「自分の身を守ってこそ大事な人の命も守ることができます」という現実的かつ希望を感じる一言に納得し、不安な気持ちが減りました。
感謝と共にその真摯な姿に憧れを抱き、私も情報を必要としている人に寄り添って、報道を通して社会に貢献したいと考えたのがきっかけです。
8年以上経ってもなお、夢が変わらないのはすごいことですね!
そうですね。アナウンサーは有名大学出身の方が多いので、中学高校の時からひたすら勉強を頑張ってきました。大学生になってからもモチベーションが下がることはなくて、アナウンサーになるために色々なことに挑戦しています。
アナウンススクールに通って現役のアナウンサーの方やOB・OGのアナウンサーの方に指導してもらったり、東京湾納涼船のキャンパスDJとしてリポーターのお仕事をしたり。そのような活動から毎日、刺激をもらっています!
ご家族の方はアナウンサーを目指すことについてどういう反応ですか?
お父さんは反対していました。アナウンサーは倍率が高いし、地元で働いてもらいたいという気持ちがあるみたいで「栃木の市役所で働きなさい!」って公務員になることを勧めてきてたんです。
でも、私は「結果出してくるから待ってて!」と言って、アナウンサーになるために上京しました。今は、ミスコンやリポーターの活動について話すと以前よりは応援してくれるようになりましたね。
心配をかけている分、実家にはこまめに帰っていますよ。多い時は週に一回ぐらい……帰りすぎですかね?(笑)