美学生インタビューInterview
審査中に大号泣?!母娘2代で務めたミスさんさ
岡根さんは2023年に「ミスさんさ踊り(以下、ミスさんさ)」に選ばれたそうですね。そもそも、「さんさ踊り」とは何なんでしょうか?
さんさ踊り(盛岡さんさ踊り)は、毎年8月1日から4日にかけて岩手県盛岡市で開催される夏祭りです。東北五大祭りの一つに数えられる、地元ではとても有名なお祭りなんですよ。
踊り手や太鼓、笛、それぞれのパートの参加者が「サッコラチョイワヤッセ!」という掛け声とともに市役所前のメインストリートを踊りながら練り歩きます。「サッコラ」は漢字で「幸呼来」と書き、昔、神様が鬼を退治したのを村人たちが喜び、踊り始めたのが起源といわれています。
ミスさんさはパレードの先頭で踊る役目を担う他、年間を通して県内外で岩手のPRをおこないます。実は私の母も昔、ミスさんさに選ばれたことがあって、小さい頃から憧れていたんです。
母娘2代ですごいですね!選考はどんな感じでしたか?
最終審査では20名ほどの審査員の前で3分間のスピーチをおこないます。会場のホールには一般の方も入場可能で、司会者もいてかなり本格的な雰囲気でした。
実は、2022年(大学1年生の時)にも応募して最終審査に進んだのですが、その時は落選してしまったんです。やる気だけで挑んだ感じで、人前で話すことに慣れていなかったし、まだ10代だったので他の応募者と比べて大人っぽさが足りていなくて、今振り返ると全体的に未熟だったと思います。
そして翌年、再チャレンジしたんですね。
すごく悔しかったので、翌年は5キロダイエットして、スピーチの練習もたくさんして万全の状態で最終審査に臨みました!
ところが、ステージ上で大号泣してしまったんですよ。スピーチの冒頭で自分の名前を言った瞬間から涙が止まらなくなってしまって……。ミスさんさになりたいという強い気持ち、去年の悔しさ、また落ちたらどうしようという不安、いろんな感情が一気に押し寄せてきて、感極まってしまったんですよね。
審査員の方に「頑張れ!」って応援されながらなんとか最後まで喋り切りましたが、頭の中は真っ白で絶望的な気分でした。控室で結果発表を待っている間もお弁当が喉を通らず、「絶対に今年も落ちた」と思っていました。
それが見事、選出されたんですね!名前を呼ばれた時の気持ちを教えてください。
5人選ばれたんですが、私は一番最後に名前を呼ばれたんです。もう、その瞬間は安堵感がすごかったです。前の日から張りつめていた緊張が一気にほぐれて、ホッとしました。
ちなみに、家族は会場に呼びませんでした。「恥ずかしいから見に来ないで」って言って、送り迎えだけお願いしたんです(笑)あとで母に結果を伝えたら、「おめでとう!これからだね!」と喜んでくれてとても嬉しかったです。
当日は上手く踊れましたか?
先頭で振りを揃えて踊るために、本番までの2か月間、平日は毎日練習をしました。私は小さい頃からさんさ踊りの団体に所属してパレードには出ていたのですが、「美しくしなやかに踊る」となるとすごく難しくて、基礎からやり直して本番に挑みました。
当日は沿道の皆さんが拍手を送ってくださったり、名前を呼んで応援してくださったりして、地元の温かさを強く実感しました。「岩手に生まれて良かった」と心から思えた4日間でした。
活動を通して、地元への思いが深まったんですね。
ミスさんさの活動を通して改めて岩手の良さに気付くことができて、自分の生まれ育った場所を今まで以上に好きになれました。
また、人前に立つことに対して恥ずかしさや抵抗がなくなりました。ミスさんさに挑戦して不安を乗り越えたことで自信がついたんです。今では人前でも堂々と話せるようになりましたし、SNSでも積極的に発信をするようになりました。私にとってミスさんさは、大学生活の中で一番大きな経験だったと思います。
「大学辞めたい……」から一転、休学を経て見つけた“志”
岡根さんは今、大学4年生ですよね。卒業後の進路はもう決まっていますか?
実は私、1年生の後期から半年間休学していたので、卒業は来年の9月になる予定なんです。就活は今、ちょうど取り組んでいるところです。
そうだったんですね。どうして休学していたんですか?
入学してすぐ、「大学、辞めたいな」って思うようになって、学校に行かなくなってしまったんです。しばらくは親にバレないように登校してるフリをしていたんですが、親の知り合いが大学の教授をやっていたので授業に出ていないことがバレてしまって……(笑)
ある日、リビングに呼ばれて、「なんで行ってないの?」って問い詰められました。私は辞めたかったんですけど、父が「どうしても卒業してほしい」と言って、いろいろ話し合った結果、半年だけ休学してみようってことになったんです。
大学を辞めたくなったのは何故ですか?
親に言われてなんとなく進学してしまったので、大学に通う目的がわからなくなってしまったんです。それに、当時は父の言うことにとにかく反発したくて……反抗期だったんですかね。喧嘩することも多かったですし、今思えば精神的に幼かったなと思います。
休学中はどんな風に過ごしていましたか?
アルバイトを掛け持ちして働いていました。当初は復学するつもりはなくて、休学が終わったら実家を出て一人暮らしをしようと考えていたので、お金を貯めたかったんです。
あとは、旅行にもたくさん行きました。特に東京には2か月に1回くらいのペースで行ってましたね。親戚の家に泊めてもらって、ごはん屋さんを巡ったり、遊んだり、やりたかったことを自由に楽しんでいました。
その後、どうして復学しようという気持ちになったんでしょう?
一番のきっかけは、ミスさんさです。休学中に一度目の挑戦をして落選してしまったんですが、どうしても諦めきれず、岩手に残って再挑戦しようと思ったんです。また、「学生という肩書きがあった方がイメージがいいんじゃないか」という母からのアドバイスもあって、学生を続けることを選択しました。もし、ミスさんさがなかったら、本当に大学を辞めていたかもしれません。
復学直後は学校を休む日もありましたが、今ではきちんと授業に出席して、卒業に向けてしっかり勉強に取り組んでいます。
卒業後はどのような道に進みたいと考えていますか?
まだ考え中ですが、キャビンアテンダントやピラティスのインストラクター、アナウンサーなどに興味があります。
ミスさんさの活動がきっかけで、今年の春からラヂオもりおかの『やはラヂ!』という地域の情報番組のラジオDJをさせていただいてるんです。リスナーの方から「ラジオ聴いたよ!」「頑張ってね!」と声をかけてもらうこともあって、自分の活動が誰かの元気や笑顔に繋がっていると思うととても嬉しくて、やりがいを感じています。
どんな仕事に就くにしても、就職は地元でと考えています。ミスさんさになる前は県外で働きたいと思っていたんですけど、活動を通して岩手の魅力を再発見したり、尊敬できる地元の人たちと出会う中で、私もここに残って岩手のために頑張りたい、恩返しがしたいという気持ちが強くなりました。
自分と同世代やもっと若い子たちにも、岩手の良さを知ってもらいたい。そのためにも私自身が影響力を持って、岩手のために頑張る人たちの先頭に立って、みんなを引っ張っていけるような存在になりたいです!