美学生インタビューInterview
突然のネタ変更にも対応!憧れの福娘に
今宮戎神社の福娘に応募しようと思ったきっかけを教えてください。
小学生の頃に父と一緒に今宮戎へ参拝に行ったことがあって、その時に福娘さんを見たのがきっかけです。皆さん笑顔が素敵で、キラキラしていたのを覚えています。父から「あれは『福娘』といって、参拝者に福を授けるために選ばれた人たちなんだよ。」と教えてもらい、私もいつかなりたいと憧れるようになりました。
最終審査ではどのような自己PRをしましたか?
自分の名前の由来と、どんな福娘になりたいかをお話しました。
実は、最終審査へ進めると思っていなかったのであまり準備をしていなかったんですよ。得意な早口言葉を披露しようかとなんとなく考えていたのですが、関係者の方から「できればトークでみんなを笑顔にしてほしい」とアドバイスがあったので、休憩時間に急遽考え直すことにしました。
最終審査では緊張のあまり、舞台に上がった瞬間から手足が震えてしまいました。他の応募者はみんな堂々としていて、披露する特技も素晴らしく、圧倒されっぱなしでした。魅力的な方ばかりだったので、「こんな中で自分が選ばれるのかな?」とずっと不安でしたね。
福娘に選ばれた時の心境を教えてください。
名前を呼ばれた人が一人ずつ前に出て並んでいくのですが、最初はまったく実感が湧きませんでした。最後に「この45人が今年度の福娘です。」と言われた時に、「本当に憧れの福娘になれたんだ!」って実感と喜びが込み上げてきました。
すぐに家族のLINEグループで報告すると、「おめでとう」ってメッセージが次々と届いて、通知が止まりませんでしたね。おばあちゃんも私が福娘になれるように毎日祈ってくれていたので、すごく喜んでくれました。
温かい家族の雰囲気が伝わってきます。後日、福娘の代表選考会もあったそうですね。
はい。代表選考会では最終選考と同じように、一人ひとりが15秒の自己PRをおこないます。私は、披露できずじまいだった「早口言葉」と、独学でやっていた「オカリナの演奏」の2つの自己PRを用意しました。
2つ用意したのは何故ですか?
選考会では他の人と披露する内容がかぶる可能性もあります。かぶるとアピール度が薄れてしまう可能性があるので、内容を変えた方がよい結果に繋がりやすいとのアドバイスがあったからです。
私は、オカリナに関しては人前で披露するほどの自信がなくて、早口言葉を第1候補として考えていました。ところが、順番が後ろの方だったので他に早口言葉をする方が出てきてしまって……。
うわ、それは運が悪いですね!
代わりにオカリナで童謡の『お正月』を演奏することに決めたんですけど、緊張しすぎて音符が飛んでしまいそうだったので、着物の袖の中にメモを入れて、ギリギリまで舞台袖で読んで練習していました。
本番では上手く吹くことができ、周りからも上手だったよと言ってもらえてホッとしました。
実は小学生の時にアナウンススクールに通っていました
十日戎のご奉仕はどうでしたか?
朝から晩までとても大変でしたが、やっている間はアドレナリンが出ていたのか不思議と疲れを感じなかったんです。参拝者の方が私のところへ笹を持って来てくださるのが嬉しくて、お一人おひとり丁寧に御札や吉兆類を飾り付けさせていただきました。
特に心に残っているのが、1日目に来てくださった方が最終日にも再び来てくださったことです。「初めて参拝した自分に優しく接してくれたのが嬉しくて、もう一度会いに来ました。」とおっしゃってくださって、そんな風に感じていただけたことが嬉しくて、とても幸せな気分になりましたね。
改めて、福娘の活動を振り返って感想を聞かせてください。
参拝者の方々と交わした会話のすべてが私の財産となり、心温まる経験をさせていただきました。また、福娘として新たなコミュニティに入ったことで、普段接することのない神社の方や福娘OGの方、そしてさまざまな活動をしている同期の福娘たちと関わることができて、視野が大きく広がりましたし、「私ももっと頑張らなきゃ」と刺激をもらえました。
これまでの私は自分に自信が持てなかったのですが、福娘にチャレンジしたことで以前よりも前向きに色々なことに挑戦してみようという気持ちになれたような気がします。
今宮戎の福娘は近年、アナウンサーを多数輩出しています。森田さんは将来、どのような職業を目指していますか?
私もアナウンサーを目指しています。きっかけは、小学1年生の時に全校生徒の前で自分の書いた作文を読む機会があって、その時に校長先生に声を褒められたことです。「あなたの声は人を惹きつける魅力があるから、アナウンサーになりなさい。」と言ってもらえて、それからこの職業を意識するようになりました。実は、小学校3年生の頃からアナウンススクールにも通っていたんですよ。
小学生でアナウンススクール!?そんな人、初めて聞きました。
そうですよね(笑)今思うと早すぎるなと思うんですけど、大学生や年配の方に混じって発声やフリートークの練習をしていました。中学受験のタイミングで辞めてしまって、今はスクールに通っていないんですが、これからまたアナウンサー就活に励んでいきたいです。
将来、どんなアナウンサーになりたいですか?
私の名前「心愛(ここあ)」の由来でもあるんですが、視聴者の方々に“心”から“愛”されるアナウンサーになりたいです。そして、私自身も周りの人を大切にして、笑顔で接することを心がけたいと思っています。
私は朝の情報番組が大好きなので、いつか日本の朝を元気にする番組でMCを務めるのが夢です。
交渉は意外と得意?学園祭の実行委員として企業訪問!
福娘の活動以外で、大学生活で力を入れてきたことを教えてください。
1、2年生の時に学園祭の実行委員として活動したことです。
関西大学の学園祭はそれぞれの学部が団結して一つの学園祭を作り上げることになっていて、実行委員の数は全学部合わせて800人ほどと国内でもトップレベルの規模を誇っています。
私は社会学部の「パンフレット局」に所属し、学園祭の運営資金を集めるためにさまざまな企業にアポを取り、協賛の交渉をおこなう役割を主に担っていました。
どうして学園祭の実行委員をやろうと思ったんですか?
私は昔から学内のイベントごとが楽しみだったんです。でも、高校生の時はコロナ禍で、文化祭も体育祭も大幅に縮小されてしまい、そのことがすごく心残りで……。大学に入学した時に学園祭の実行委員の存在を知って、ここなら私ができなかったことができるかも知れないと思って参加を決めました。
中でもパンフレット局は企業訪問ができる点が魅力で、学生にとってなかなかできない経験だし、やりがいがありそうだと思って志望しました。
アポは電話で取るんですか?
そうです。電話をかける企業をリストアップして、2日間くらいひたすらみんなで電話をかけ続けます。一人あたりのノルマが50件だったので、全体で3000件以上はかけたと思います。
電話が繋がらなかったり門前払いも多かったので心が折れそうになることもありましたが、アポが取れたときの嬉しさは格別でした。今の時代、電話をする機会って減ってきてるじゃないですか。私自身も電話はあまり得意ではなかったんですけど、このテレアポの経験を通して少しは上達できたんじゃないかなと思っています。
企業を訪問して交渉をおこなうのも大変そうですね。
初めは緊張したんですけど、実際にやってみると意外と得意だったんです!回数を重ねるうちに楽しくなっちゃって、最後には「代わりに行くよ!」と他の子の分まで担当するほどでした(笑)
企業さんにとって、お金を出すというのは簡単なことではありません。なので、パンフレットに広告を掲載するメリットをしっかりと感じてもらえるように、説明内容を頭に叩き込んで交渉に臨みました。私は心配性なので、やりすぎなくらい準備をしていったんですけど、おかげでどんなことを聞かれてもすぐに答えることができて、結果的にお会いしたすべての企業さんの契約を取ることができました。
素晴らしい経験でしたね!
企業訪問の経験だけでなく、学園祭全体としても前年を上回る10万人超え(3日間合計)の来場者数を達成することができて、「やってよかった」と心から思えました。
実行委員の経験を糧に、これからもさまざまなことに積極的にチャレンジしていきたいです。