美学生インタビューInterview
第70代今宮戎福娘!アシスタント最年長として福娘をサポートしています
現在4回生ということでもうすぐ卒業ですね。学生生活で思い出深い出来事はありましたか?
2回生の時に第70代今宮戎福娘を務めさせていただいたことです。この経験がきっかけで、アナウンサーという夢への挑戦を決めました。
まずは福娘について教えてください!応募したのはどうしてですか?
毎年今宮戎神社に参拝している母が、「優里も福娘してみたら?」と何気なく勧めてくれたんです(笑)まさか自分が選ばれるとは思っていなかったので、その時は軽い気持ちで応募しました。
活動で印象的だったことはありますか?
自分の代の活動が終わった後に、現役の福娘をサポートするアシスタントに選んでいただいたことです。
実は私、十日戎の最終日に声が枯れてしまったんです。ご奉仕は9時から21時まで続くので、正直とてもしんどかったのですが、当時のアシスタントの方に「声が枯れた中でもすごく頑張って、参拝者の方や周りに声掛けしているのをずっと見ていたよ。」と伝えていただきました。その言葉がとても嬉しかったです。
中井さんの真っ直ぐな人柄が窺えます。アシスタントの活動で心がけていたことはありますか?
誰も置いていかないことです。4回生になって、アシスタントでは私が最年長になりました。現役の福娘はもちろん、今年から新しく入ってきたアシスタントも含めて、困っている子や不安な顔をしている子がいないように、全員に声掛けすることを大切にしました。
リーダー的な役割を担っていたんですね。小さい頃から前に立つタイプだったんですか?
小さい頃はそうでした。ですが、小中学生の頃に転校を繰り返したことがきっかけで「その場に馴染むタイプになろう」と性格が変わっていきました。
この殻を破らせてくれたのは、アナウンサーを目指したことでした。
「挑戦してから諦めよう」休学して踏み出したのは、アナウンサーへの第一歩
アナウンサーはいつ頃から目指し始めたんですか?
小学生の頃からです。卒業文集の将来の夢の欄に書いたのもアナウンサーでした。
アナウンサーを目指した一番の理由は、弟がSNSのなりすまし被害に遭ったことです。身内に事件が起きたのに、私は何も力になってあげられませんでした。弟は、いきなり誰かになりすまされました。どうやって消したらいいか、どこに言えばいいのか何もわからない。まさか自分たちが巻き込まれるなんて思っていなかったんです。ニュースや事件が自分事になってからでは遅いと知りました。
また、私が学校に馴染めなかった時、テレビの中のアナウンサーは私のことを見て話しかけてくれている気がしました。居場所を作ってもらえた気持ちになったんですよね。なりすまし被害だけではなく色々な問題を抱えている人にとって、テレビから伝えることが居場所を作るきっかけや、助けることに繋がるかもしれないと思うんです。そういう発信ができるアナウンサーというお仕事に惹かれるようになりました。
とても素敵な理由ですね。
ありがとうございます。とはいえ福娘を務めさせていただいた当時は、一般企業に就職するつもりでした。
どうしてですか?
……私、成功体験がないんです。大学は第一志望に落ちてしまったし、在学中も福娘まで何の挑戦もしていませんでした。福娘の同期でアナウンサーを目指している子たちは、今まで頑張ってきたことがあったり、ミスコン活動をしていたりと、夢に向かってすごく努力していました。それに比べて、何もしていない私は同じフィールドにすら立っていない気がしたんです。
ですが、1年後、福娘のアシスタントとしてテレビ局での取材に同行した時、気持ちが変わりました。自分が福娘だった時は緊張して周りが見えてなかったのですが、アナウンサーの方と福娘の子たちがテレビに出ているのを後ろから見ていると、アナウンサーの方の凄さに気づきました。福娘全員に対して話を広げたり、緊張しないように場をほぐしたりと、全員に居場所を作っていたんです。それは私が小学生の時に憧れた姿そのものでした。
それで「挑戦する前から諦めるのではなく、挑戦してから諦めよう」と決意して、休学を選びました。
休学ですか!?
はい。アナウンサー就活は3回生の春から本格的に始まります。ですが、私がアナウンサーへの挑戦を決めた時にはすでに3回生の春を迎えていたので、もう一度3回生をすることにしました。
思い切りましたね……!休学中はどんなことをしていましたか?
まずはアナウンサースクールに通い始めました。初めは大阪で通っていたのですが、キー局・在阪局のインターンに全部落ちたことをきっかけに、東京のスクールにも通うことにしました。「もっと本気で頑張りたい」と思ったんです。それぞれのスクールが月2回あったので、当時は夜行バスで大阪と東京を行き来する日々を過ごしていました。全部自費だったのでお金はとてもかさみましたが、ちょっとでも追いつこうという一心で頑張っていました。
また、兵庫県のテレビ局「サンテレビ」で番組アシスタント等を務めるユニット「第54期サンテレビガールズ」としての活動も始めました。リポーターの仕事をすることでアナウンサーに一歩近づくことができる気がしたんです。
「思いっきり感情を表してほしい」その一言で気づいた、表に立つ者としての責任
サンテレビガールズってどんなことをするんですか?
兵庫県の魅力を発信するために、農業や食べ物、新しくできた施設など、様々な場所に行きお話を伺います。
印象的だったのは、一番初めに担当した兵庫県のスーパーでのレポートです。テレビを見ていると、 取材を受けられている方ってすごく流暢にお話される印象があると思います。ですが、実際に店長の方にお話を伺うと、カメラが回り始めた瞬間に全く話せなくなってしまったんです。私自身、初めてのロケでとても緊張していたのですが、この気持ちは皆さん同じなのだと気づきました。
「どうすれば皆さんがもっと話しやすくなるんだろう?」と考えた時に、私がカメラの外でたくさん会話をしていたら、話しやすい雰囲気作りができたのではないかと思ったんです。この経験のおかげで、取材に対する姿勢を変えられました。
お仕事に対して真摯に向き合っていたことがよく伝わってきます。サンテレビガールズを通して学んだことは何ですか?
感情を思いっきり出すことの大切さです。私は人に馴染もうとする性格なので、楽しい、悲しい、嬉しいといった自分の感情を出すことに対して控えめになることがありました。
ですが、カメラマンさんや周りの方々から「テレビに映ったら自分が思ってるよりも暗く見えてしまうから、思いっきり感情を表してほしい。」と言っていただいたんです。スタッフの方は、私がレポートする場所を楽しく見せようと撮影してくださっています。それなのに、私があまり楽しくないように見せてしまったら、皆さんの思いが全部なかったことになってしまいます。
1年間の活動を通して、自分が思っているよりもしっかり感情を出して伝えないと伝わらないこと、そして番組を作ってくださる方々の気持ちも背負って責任を持つことの大切さを学びました。
アナウンサーってただ原稿を読むだけの仕事じゃないんですね……!
私がそのことに気づけたのは、サンテレビガールズの活動でカメラマンの方、原稿を書いてくださる方、音声の方、ディレクターの方などと関わる機会がたくさんあったからこそです。こういう考えを持たせてくださったことにとても感謝しています。
就活の結果はどうでしたか?
福岡のテレビ局からアナウンサー職で内定を頂きました。
おめでとうございます!将来はどんなアナウンサーになりたいですか?
私の言葉で人を助けられるアナウンサーになりたいです。例えば有事の際に、普段から視聴者の方と信頼関係を築けていれば、私の言葉を信じていただけると思うんです。
なので、「アナウンサーってそんなに距離が遠い存在じゃない」と感じていただけるように、素の私らしさや私自身の考えを出して、福岡の方と近い存在になれればと思っています。
中井さんにとって、5年間の学生生活はどんなものでしたか?
振り返ってみると、全てに縁があったんだなと感じています。 第一志望に落ちたこと、休学したこと、アナウンサーに挑戦したこと……。決断に迷ったとき、やらずに終わっていたら、私はそれを後悔としてずっと引きずっていたと思います。
アナウンサーを目指すと決めた時、「たった1回の人生、後悔がないように行動しよう」と誓いました。他の誰もが同じ人生を歩めません。 だからこそ、これからも挑戦することを大切にしたいですし、人に馴染もうとするのではなく、後悔しない選択をとれるようになった今の自分の方が、私は好きだなと思います。
美学生プロフィールProfile
担当カメラマン・インタビュアーCameraman & Interviewer

