美学生インタビューInterview
浴衣に赤色は欠かせない!?
今回の浴衣を選んだ理由を教えてください!
アサガオの柄が夏らしくて素敵だなと感じたからです。あとは、最近暑いので涼しげに見える白地のものを選びました。帯はレースっぽいものを選んで、少し今風にしています。あと赤色の帯締めを結んでいるんですけど、それもお気に入りポイントです!
この浴衣は自前のものですか?
レンタルしたものです!自分でも持っているんですけど、せっかくの撮影なので違う物を着たいなと思って借りました。
自分で持ってるのはどんな浴衣ですか?
赤い浴衣です。中学生くらいの時に買ってもらいました。
昔、おばあちゃんに赤が似合うと言われたのが嬉しくて選んだ浴衣です。そういえば今日の浴衣のワンポイントも赤い帯締めですし、アサガオも赤が入っていますね(笑)あんまり意識したつもりじゃないんですけど、赤が入っているものを選びがちかもしれないです。
浴衣の思い出を教えてください!
毎年友達と浴衣を着て、伊丹市の猪名川花火大会に行っていました。年によって違うテーマに沿ったプログラムが魅力なんですよね。音楽と連動して花火が打ち上げられていてすごく盛り上がるんです。毎年楽しみにしていました。
あとは中学生の頃は地元の河川敷でおこなわれる花火大会とかにも行っていました。でも、その時は浴衣や花火を楽しむことよりも屋台が楽しみでしたね。
お気に入りの屋台は何でしたか?
たこせんとりんご飴は絶対に食べます。たこせんって上に卵乗ってるじゃないですか。小さい時に卵を落として泣いていたので、上手に食べられるかヒヤヒヤしながら食べてました。
あと、かき氷も好きです。お気に入りはレモン味!たこせんを食べた後にレモン味のかき氷を食べて口の中をさっぱりさせて、いちご飴で締めるのがテッパンでした(笑)
大学生活最後の夏休みはどんな風に過ごす予定ですか?
新潟の長岡の花火大会に行く予定です。日本三大花火大会の中でも最大規模って言われているんですよね。
青春18切符で行く予定なので、福井県とか北陸の方で途中下車して何日かかけてゆっくりと旅しようと思っているんです。いつかやってみたいねと言っていた旅なので、道中も含めてすごく楽しみです!
サンテレビガールズとして活動!そこで得た考え方の変化とは?
柴田さんは第52期サンテレビガールズ(兵庫県のテレビ局「サンテレビ」で番組アシスタント等を務めるユニット)として1年間活動していましたね。どうして応募したんですか?
アナウンサーを目指していると前回のインタビューでも話したんですけど、リポーターとしての経験などをさせていただきたいなと思って応募しました。
思い出に残っている活動はありますか?
初めてリポーターとしてテレビに出た時のことが一番印象深いです。
メイク講座のリポートだったんですけど、本当だったらメイクの先生がメイクをしてくれるはずだったのがコロナの影響で教わった内容を自分で実践しないといけなかったんです。初めてのテレビでただでさえ緊張しているのに自分でやることがたくさんあってさらに緊張してしまいました。
あらかじめ台本などは用意していただいているんですけどそれを読むのにも必死で、表情も緊張でガチガチで……。こんなんでこの先やっていけるのかなって不安にもなった忘れられない経験です。
その後の撮影はどうでしたか?
スタッフの方に志村けんさんの「アイーン」みたいな顔をすると表情筋が柔らかくなるというのを教えてもらって、毎朝鏡に向かって真似しながらやっていました。表情だけでいいのに、撮影の日は手までつけて気分も高めるようにしていました(笑)
そういうストレッチだったり声出しを毎日練習したりしてだんだん慣れていったのもあるんですけど、緊張が和らぐ要因として大きかったのは考え方の変化です。
どのような変化ですか?
最初は自分がテレビに映ることばかり意識してしまっていたのですが、ロケで企業の方を取材させていただくことも多くて、その方たちの想いやリアルな姿を届けたいなと思うようになったんです。
取材中に生まれる会話の中で熱い想いを聞かせていただくうちに「この思いを伝えたい!」って気持ちがすごく強くなっていったんですよね。そうすると自然と緊張もしなくなって、自分がこの方の魅力を最大限引き出すにはどうしたらいいのかな?ということを一番に考えるようになりました。
あとは、ディレクターさんやスタッフの方が失敗してもいいから好きにやっていいよって優しく言って励ましてくださって、現場の雰囲気がとても温かかったんです。それにもすごく助けてもらいました。
サンテレビガールズの活動でテレビの仕事に対する考えは変わりましたか?
そうですね。1分の映像を作ることの大変さや、作る側の視点を初めて知る機会になりました。例えばテロップ一つにしても今まであまり意識していなかったんですけど、どういう工夫がなされているかとか細かく見るようになりました。何か紹介するにしても角度はどうしたらいいかや、視聴者の方にわかりやすく伝えるためにはどんな表現がいいかなどを試行錯誤しながらよく考えるようになりましたね。
アナウンサーって表に立つ仕事で華やかに見えますけど、その裏にはたくさんの努力や準備があるんだなというのをより深く感じるようになったのはサンテレビガールズとして活動したからだと思います。
今は教育について勉強中!学んだことをいろんな人に伝えていきたい!
前回のインタビューではジェンダーについて勉強していると話していましたが、今も勉強しているんですか?
今は主に、教育についての勉強をしています。
どうして教育を学ぼうと思ったんですか?
教育って人生に関わるとても大事なものだと思ったからです。例えば、教育を受けられる環境にあるのかないのかでその後の人生も変わってきます。人格形成にも教育が関わっていますし、幼児教育など幼い頃の教育についてももっと深く勉強をしたい思いました。
学んでいく中で印象に残っていることはありますか?
大学の活動でワークショップに参加することが何度もあって、小学生や中高生とディスカッションをしたのが印象深かったです。
特に記憶に残っているものはSDGsに関するワークショップで「小さな成果の大きな発表会」というテーマで、自分が取り組んでいるSDGsについてプレゼンをするっていうものだったんです。
立ち位置としては私たち大学生が小学生をサポートしていくんですけど、私たちの方が子どもたちから新しい考え方を学ぶことがたくさんあって楽しかったです。
SDGsの17の目標はいくつかのジャンルに分けることができるんですけど、どうしても身近な教育のことや福祉のことなどに発表が偏りがちだったんです。
私たちは特定のテーマにかたよらず幅広いテーマに取り組んだほうがいいよねって言っていたんですけど、参加していた小学生の子が「全部は難しいしよくわからない部分もあるから、初めは自分の興味のある分野や知っていることを勉強するのが大事だと思います。」ということを言ったんです。その時に場の雰囲気が変わりました。
すべてのことをしっかりと勉強しないといけないという空気があったんですけど、小さなことから始めて大きなアクションに繋げていこう、という雰囲気になっていったんです。
私たちと着眼点が小学生は違っていて、自分の考え方を見直すことができました。
柴田さんは4回生ですが、卒業研究などは行っていますか?
卒業研究では原爆の被災地・広島の地元新聞紙である「中国新聞」の8月6日の記事を70年分読んで研究してます。
どうしてその研究をしようと思ったんですか?
ゼミで新聞6社の比較ワークというのをやったのがきっかけです。8月6日の各社の新聞を読み比べた時に、地元紙だからこそ伝えられるメッセージがあるなと感じたんです。じゃあ70年の中でそれがどのように変化していったのかを知りたいなと思いました。
原爆の直接的な被害を受けた方の平均年齢はもう80歳を超えてきているので、平和学習のあり方って変わっていくじゃないですか。その方たちがいなくなってしまう時代もこれからやってきますし、新聞を読んでいく中で新たな平和学習のあり方なども提案したいです。
70年分を読むってかなり大変ですよね。昔の新聞などは手に入るんですか?
古い新聞は国立国会図書館で読むことができます。でも、紙媒体じゃなくてマイクロフィルムという物で保存されているんです。投影機という機械を使って、8月6日の記事を探してピントが合うように拡大して読んでいかないといけなくて、10年分を読むのに何時間もかかりました。
関西の国会図書館には無くて東京の国会図書館にだけ保存されている新聞もあるので、すごく時間のかかる研究になるんですけど頑張りたいと思っています。
残りの大学生活でやりたいことはありますか?
日本テレビの藤井貴彦アナウンサーの『伝える準備』という本の中で、「美しいものを見て、美味しいものを食べなさい」という言葉がありました。これは、豪華なもののためにお金を使うと言うことではなく、自分の考えや発する言葉を形作るのは経験なので。「自分の目を養いなさい」ということです。
自分の五感で感じることを大切にして見る目を養っていきたいので、色々な所に旅をしたりしてたくさんのことを経験していきたいと思っています。
おそらくあっという間に時間が過ぎ去ってしまうので、一日一日を大切にしていきたいです!