美学生インタビューInterview
「ら抜き言葉」を使うごとに500円の罰ゲーム?!
関西学院大学に進学した理由を教えてください。
マスコミ・メディア系の大学を探している時に関西学院大学を見つけ、憧れの永島優美さん(フジテレビアナウンサー)もこの大学の社会学部出身だったことが決め手です。出身地の福岡県にはあまりマスコミ・メディア系の学科がなかったので関西の大学を志望しました。でも、できれば一人暮らしはしたくなかったです(笑)
マスコミ系を軸にしていたんですね。将来もそういった業界でお仕事したいんですか?
アナウンサーを目指しています!私は中学・高校時代陸上部だったので、箱根駅伝が好きなんです。ランナーにはなれなくても、アナウンサーとしてならずっと駅伝に携われると思って!現場の空間に入り込んで、自分で話したり伝えたりしたいという思いが大きいです。
陸上部だったんですね!何の種目をやっていたんですか?
800m、駅伝、走り高跳びです。もともと800mの選手で、駅伝は長距離をやっていた流れでやることになりました。
途中で顧問の先生に「走り高跳びやってみろ。」と急に言われて飛んでみたら、大会の最低ラインを飛べてしまって(笑)そこからは走り高跳びもやっていました。
長距離から跳躍まで幅広いですね!中学・高校時代は陸上一筋だったんですか?
エレクトーンもずっと続けていました。17年間習っていて、厳しい部活動の息抜きにしていましたね。
17年……!エレクトーンの道にも進めそうですね。
エレクトーンの先生になることも考えました。ソロとアンサンブルでコンクールにも出ていて、アンサンブルでは九州大会で金賞も頂きましたが、そこで「人前で表現することが好きだな」って気づいたんです。
それが今の夢に繋がったんですね。アナウンサーを目指し始めたのはいつ頃ですか?
意識しはじめたのは高校3年生の秋です。その時はまだ選択肢の一つとしてあっただけでしたね。大学に入って、3回生になるまでには進路を決めようと思っていました。
将来について考えるうちに、自分が「何か」になるより「何か」をする人を伝えることが私のやりたいことだと思ったんです。尚且つ、スポーツにも関われるのはアナウンサーだと思って、2回生の10月頃からアナウンサーを本気で目指しはじめました。
アナウンススクールに入ったのはその年の12月だったので、遅めのスタートだと思います。やっぱりアナウンサー志望の人はもっと早い時期から通っているので。
では、わりと最近だったんですね。アナウンススクールではどんなことを学んでいるのですか?
短い文章を読んだり、フリートークや面接の練習をしたりしています。
私は「ら抜き言葉」に苦戦していて……。博多弁ってめっちゃら抜き言葉なんですよ、「食べれんの?」とか。だから、ら抜き言葉を1回使うごとに500円っていう罰ゲームを先輩とやってます。今はもう8000円です(笑)
最近は意識しすぎて逆に分からなくなってきて、「ら」を入れなくていい言葉にも「ら」を入れてしまいます(笑)
1回500円は重いですね(笑)最近はセント・フォース関西にも所属しましたよね。どうして所属することになったんですか?
今年の1月に今宮戎神社の福娘代表を務めさせていただいて、そのご奉仕が終わった後に自分で応募しました。
先日、テレビ東京の『知られざるガリバー』という番組のロケで魔法瓶で有名な象印さんの本社に行ったばっかりなんです!
初めてのロケはどうでしたか?
社長さんに質問しすぎて時間が押しちゃいました(笑)大まかな台本は決まっているんですけど、聞いていくうちに楽しくなりすぎて台本以外のこともたくさん質問してしまったんです。話してくださったことに対して「そうなんですね!」って相槌を打つだけにするか、もう一歩踏み込んで質問すべきか、その判断が少し難しかったですね。
あとは、社内食堂でご飯を食べたんですけどお米が凄くおいしくてペロッと食べてしまいました(笑)
将来はどんなアナウンサーになりたいですか?
スポーツ、特に箱根駅伝の実況をしてみたいですね。「3年ぶり青山学院大学!」とか言ってみたいです(笑)
もちろんインタビューもやりたいです。昔、箱根駅伝で区間賞を取った選手が、実は怪我をしていて不安を抱えながら走っていたということをテレビのインタビューを通して知ったんです。選手の気持ちに寄り添い、レース以外の部分や本音を引き出せるアナウンサーになりたいです。
最終選考で大熱唱!自分でも驚きの福娘代表に
先ほど今宮戎神社の福娘代表を務めたという話がありましたが、応募した理由を教えてください。
アナウンサーを目指している先輩がやっているのを見て興味を持ちました。私の中でアナウンサーは、大学のミスコンに出ているか福娘をやっているかっていうイメージがあって、せっかく挑戦するなら関西っぽい福娘がいいなと思い応募しました。
選考ではどんなことをしたんですか?
実は私、何も用意していなくて……。最終選考が午前と午後に分かれていて、午前の審査を通過した人が午後の自己PR審査に進むんですけど、私は午前の審査に通ると思っていなかったんです。周りの子たちがみんな大きなトートバックを持って色々と準備してきているのを見て、「え?こういう感じ?」ってなりました(笑)
だから、午前の審査が終わった後「餃子の王将」でお昼ご飯を食べながら自己PRの内容を考えてました。PRの時間は15秒で、最終的には中島みゆきさんの『ファイト!』をワンフレーズ歌って、最後に博多弁で「福を届けたいったい!」ってあざとく締めました(笑)審査員の方々の柔らかい雰囲気と笑顔に救われましたね。
そこから福娘代表として選出されるまではどういう流れだったんですか?
別日にまた「代表選考会」というものがあって、そこでも15秒の自己PRをしました。
その時はIKEAに売ってるオラウータンの人形に手拍子をさせながら、森七菜ちゃんの『スマイル』を歌いました(笑)セリフを固めていくと緊張して楽しめないと思ったので、あえて準備をせずリラックスした気持ちで臨みました。
なかなかシュールですね(笑)代表に選出された時はどんな気持ちでしたか?
そもそも福娘に選ばれるとも思っていなかったので、まさかの代表にまでなれてとてもびっくりしました。ただ、実は十日戎と成人式の日が重なっていて……。ずっと楽しみにしていたのに行けなくなったので正直複雑な気持ちではありました。
どちらか選ぶのは確かに難しいですね。福娘を選んで良かったことはありますか?
自分がちゃんと参拝者の方にご奉仕できていると感じた時はやって良かったと思いましたね。
飲食店をされている50代くらいの夫婦が参拝にいらっしゃって、「去年は本当に大変だったんです。お客さんは来ないしお店も閉めなきゃいけないし……。あなたにお任せするので笹に何か縁起物をつけてください。」と言われて、10分くらい話しながら選びました。
縁起物には「厄除け」とか「金運」とか、それぞれに意味合いがあるんです。それを考えて、相談しながら選べたのが嬉しかったです。大勢の方の悩みとか願いを真剣に聞けることってなかなかないので、とても貴重な経験でした。
あとは私が福岡出身なので、「ほんまありがとう。」って関西弁でお礼を言われるのが嬉しかったです!自分も「ほんま」ってエセ関西弁使ったり(笑)
改めて、福娘の活動を振り返るとどうですか?
十日戎の3日間は早朝から夜遅くまでずっと社務所でご奉仕するのですごく大変でした。座る椅子が低くてずっと足の内側に力を入れるから内転筋が筋肉痛になってしまって、立ち上がれなくて誰かに支えてもらいながら休憩に入ったりもしました。ずっと笑顔だと顔の筋肉もプルプルしてくるので、マスクがあってまだ良かったなと思います(笑)
神社でのご奉仕以外にも百貨店や新聞社、ビールメーカーに挨拶まわりに行ったり、テレビ中継の時に代表して挨拶や上方締めの掛け声を担当したりもしました。先輩がやってるからという軽い理由で応募したけど、実際に挑戦してみてすごくいい経験ができたなと思っています。
美学生プロフィールProfile
担当カメラマン・インタビュアーCameraman & Interviewer
井上 翔也
僕も昔から美学生図鑑の読者でした!美学生図鑑は1日1度見に来るだけで癒される、そんな場所です。美学生たちの煌めいた一瞬を皆様にお届けすることが出来るよう頑張ります!
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