美学生インタビューInterview
「お客様の表情で感情が分かるんです。」
現在2回生ということですが、大学生活には慣れましたか?
入学式が無かったので、大学生になったという実感があまりないです。2回生の春学期もほとんどオンライン授業で……。
春学期も完全オンラインだったんですね。出身は福井とのことですが、実家に帰ったりはしなかったんですか?
一人暮らしに慣れようと思ってずっと京都にいました。
でも、孤独すぎてミスタードーナツ(以下、ミスド)でアルバイトを始めました(笑)とてもアットホームな職場で、バイト先の人達とは緊急事態宣言が出ていなかった時にはご飯へ行ったり、夏には花火をしたりしてとても仲が良いんです。
あと、「ミスタードーナツフレンドシップフェスティバル技能コンテスト」のセールス部門にも出場しました!残念な結果にはなったんですけれども、とても良い経験になりました。
どういった大会なんですか?
全国の各店舗から推薦されたスタッフが出場し、ミスドで培った技能と知識を競い合う大会です。セールス部門では、20分以内で解かなければいけない50問の4択問題のテストと実技がありました。テストは問題を解くスピードが求められていたので大変でした。
バイト歴もまだ浅いですよね。
そうなんです。店長から声を掛けていただいたんですけれども、正直まだまだやし、不安もありました。でも、後輩のトレーニングにも繋がるし、店長に出てほしいと言われたのでそこまで言われたらやるしかないと思って臨みました。先輩も応援をしてくださったのでとても心強かったです。
テストにはどういった内容の問題が出るんですか?
バイトを始めて最初に教えてもらうようなマニュアルの内容や、ミスドのホームページには載っていない商品の材料の原産地とかですね。あと冷蔵庫の温度とか、ミスドの歴史などの豆知識、お辞儀の角度まで多岐に渡ります。
冷蔵庫の温度まで……。私には覚えられなさそうです(笑)大変だったことはありますか?
コロナ前は一斉に会場で試験がおこなわれてその日のうちに結果発表がある形だったらしいんですけれど、コロナが始まってからはパソコンでの試験に変わって、経験者である店長でも問題の傾向が読めなくて戸惑うことが多かったです。
実技試験はどういったことをするんですか?
エリアマネージャーがお客様として実際に来店されて、そこでの接客態度や他の一般のお客様への接客態度を見られます。笑顔で接客できているか、接客用語が正しく使えているか、年齢層に応じた接客が出来ているかなどが評価項目です。ショーケースを眺めて迷われているようなお客様におすすめの商品を勧めるなど声を掛けると配点が高いみたいです。
ミスドは働いている人への教育が手厚いんですね。この大会に出場して瀧口さん自身、成長を感じられたことはありますか?
以前よりも周りを見るようになりました。今まではミスをしないようにマニュアル通りにしか動けなかったんですけれども、自分から指示を出したり、どうしたらお客様一人ひとりに最適なサービスが提供できるか考えるようになりました。例えば、小さなお子さんがいらっしゃったときには言葉を変えたり工夫しています。あと、忙しいときにどう店内を捌いていくかも考えるようになりました。
素敵な店員さんですね。是非接客してもらいたいです。
もう、お客様の表情を見れば誰と食べるために来店をされているかとか今どんな感情かまで分かるようになりました(笑)イライラしているなとか、今日はお孫さんと食べるんだなといった感じで。
すごすぎる!(笑)ミスドで働いていて嬉しかったことはありますか?
2つあります。1つ目はアルバイトを始めたばかりの頃で、お客様が帰った後に掃除をしようとテーブルを見たら紙ナプキンに「いつもありがとう」ってメッセージが書いてあって。他のスタッフたちに見せるくらい本当に嬉しかったです。
もう1つは、来店されたおばあちゃんが柔らかくて甘いドーナッツを探していて、オールドファッションというドーナツを勧めたんです。そしたらまた次の日に「昨日紹介してくれたやつ美味しかったよ。」って同じ物を頼んでくださって、とてもほっこりしました。
紆余曲折を経て幼なじみ3人で掴んだ全国優勝
特技や趣味はありますか?
4歳の頃からなぎなたをしていました。
初めて聞きました。どういった競技なんですか?
剣道によく似ているんですけれども、なぎなたは2m10cmもあるんです。
大会では演技競技と試合競技の2つあって、演技競技では決まっている1~8本目までの形を2人1組で披露します。間合いや打つ幅、範囲まで決まっていて、無駄な動きをせずメリハリをつけながら披露していきます。いかに自分の体軸をコントロールして相手と呼吸を合わせてするかが大事です。上手な人ほど切先や体軸がブレないので圧巻です!
試合競技では防具を身に付けます。演技競技とは打って変わって激しめで、その中に美しさもあります。打つ部位があって臑(すね)を打てるんです。なぎなたは長いからこそのダイナミックさがあって、背が高いとか体格が大きいとかは関係なく戦い方次第で色々な工夫が出来ます。どの年代の方でも楽しめるので、70・80代の方もやっています。
何となく激しい競技を想像していたので意外でした。そもそもどういった経緯でなぎなたを始めることになったんですか?
母が経験者で、なぎなたの先生をしているんです。地元の公民館で姉と始めて小学生までは楽しみながらなぎなたをしていました。既にその時から、私が高校3年生の時に地元開催の福井しあわせ元気国体(以下、福井国体)があると決まっていて、そこでの優勝がずっと目標でした。
福井国体に向けて本格的に取り組み始めたのは中学生の時です。私、幼なじみが2人居て、ずっと3人で「高校3年での福井国体に出ようね。」って話していてました。でも、福井県自体がなぎなたであまり強くない県で、私たち自身も弱いイメージを持っていたんですよね。なので、福井県全体で意識を変えるためにたくさん県外遠征に行かせていただきました。そこで強い選手と比べて改善点を探したり、どんな風に動いているかを見て真似をしたりしました。
その甲斐もあってか、中学3年生の時に「JOCジュニア五輪杯全国中学生なぎなた大会 試合競技の部」の団体戦で初めて優勝しました!
すごいですね!
でも、格上の相手を倒さないといけなかったので正直優勝は絶望的だったんです。その時はとにかく気持ちでカバーをすることにしました。「引いていたら駄目だ、とにかく攻めよう」って挑戦者の気持ちで。
準々決勝で強豪沖縄県と対戦し、先鋒が1本取って勝ったんです!そこからもう気迫とメンタルで、こっちの流れに持って行きました。一緒に戦った幼なじみの2人はもうずっと一緒に居るので戦術の得意不得意はもちろん、思っていることや、メンタルが落ちるタイミングも分かるんです。そのタイミングを互いに補い合いました。
3人の関係性がとても羨ましいです。
ムカつくこともあったんですけど、何でも言い合えるし高め合える、本当に信頼できる仲間です。絆は全国一の自信があります!
そこから高校生活に入ったんですね。
はい。高校も3人で一緒の高校に入りました。でも、なぎなた部がなくて部活を作ることから始まったんです。
部活を作るところから?!
剣道部にお願いして場所を使わせてもらえないか交渉することから始まりました。快く受け入れてくれた剣道部の方々には感謝しかないです。
たまたま、なぎなたの経験者で昔から私たちを指導していた先生が高校にいたので顧問はすぐに決まりました。そのおかげで他の先生の理解や学校からのバックアップを得ることができました。
漫画のような展開ですね。
でも、スムーズにはいかなくて、問題は部員集めでした。経験者の先輩が1人入ってくださったんですけど、5人必要で。結局、最初の年はその先輩も含めた4人で活動しました。新入生向けの部活動紹介も1年生の時からしていました(笑)
自分たちも新入生なのに(笑)
そうです(笑)
高校1年生の時の成績はどうだったんですか?
試合での引き分けが多かったんです。そこに対して怒られましたね、もちろん期待もあったので。試合時間が2分から3分に変わったり、技術面も見られるようになったりして、気持ちでは何ともならなくなってきたんです。その頃は予選で負けたりしていて。自分たちの試合スタイルを確立しようと模索した一年でした。
試行錯誤の年だったんですね。
はい。でも、2年生になった時に嬉しいことがあって!もともと一緒になぎなたをしていた1年生が1人入ってくれて、さらに初心者が2人も入ってきてくれたんです!なぎなたに興味を持ってくれたんだなって嬉しさもあったし、人数が増えた頼もしさもありました。
良かったですね!後輩が入ってくると大きく雰囲気が変わりますもんね。
本当に後輩に助けられた部分が大きいです。積極的に声出ししてくれたりして何より部活の雰囲気が変わりました。初心者の2人は強化選手だった私たちのペースについてきてくれて、自分たちも負けてられないなってその姿に勇気づけられました。
おかげで高校2年から勝てるようになってきて、初めて出場した国体である愛媛国体では演技競技で3位、試合競技の団体戦で4位になることができました。この結果は福井県で最上位だったんです。たくさんの方が喜んでくれました。顧問の先生は「今、優勝していたら気が緩むから逆に3位4位で良かった。」って言っていましたね。
次の年はいよいよ福井国体がある高校3年ですね。
年明けから既に緊張していました(笑)でも、なるべくポジティブな気持ちでいるようにしていました。大人の選手や先生にも指導をたくさんしていただいて、福井国体に向けて準備を整えていきました。
国体の2か月前にインターハイがあって、たくさんの遠征をして技を工夫してみたり、癖を直したり調整しました。結果、演技競技は優勝できたんですけど、試合競技は予選負けしてしまったんです。後輩が取られたんですけれど、誰かに任せるのではなくて自分が取らないといけないって思いました。すごく悔しかったです。それでも、国体に向けて意識を高めなきゃって切り替えていました。
そして迎えた国体。どんな心境でしたか?
地元開催というのもあって県の方々がたくさん来てくださって、まずその光景に感動しました。恩返ししたいという思いと、心臓がバクバクして不思議な感じでした。
試合はどうでしたか?
得意の演技競技では優勝することができました。去年は3位だったので、優勝した時の拍手が忘れられないです。
次は試合競技の団体戦ですね。
小学生の頃からずっと3人で夢に見ていた大会だったので「やっとここまで来たね。」って言い合っていました。まだまだ緊張していたんですけど「ここまで来たらやるしかない!」と最後まで気持ちを保ち続けました。初戦から強豪で、それでも強気で攻めて、そこからは気持ちも高まって全力で競技に臨みました。
結果は?
優勝しました!
わー!鳥肌立ちました!
長年の夢が叶った瞬間でした。辛い時期や紆余曲折もあったんですけど、仲間と声を掛け合って掴んだ優勝です!
次なる夢はアナウンサー!感動や熱い思いを届けたい
大学では選手としてなぎなたはやっていないんですよね。
もともとなぎなた以外にも色々なことに挑戦したいなという思いがあったんです。なので、部活の推薦で大学に行くことは考えませんでした。現役で受かった大学もあったんですけど、どうしても納得がいかなかったので浪人して同志社女子大学に進学することにしました。通っている表象学部では文字だけでなく映像で伝えることや日本語教育についてなど幅広く学べるのでとても楽しいです。
今年の5月に東京五輪の聖火ランナーとして走ったとも聞きました。
そうなんです!新聞を見ていたら聖火ランナーの募集をしていたので応募しました。家族に相談をして作文を書いて当選しました。聖火をつなぐというとても貴重な体験が出来ました!
走ってみてどうでしたか?
200メートル走ったんですけれど、物理的だけでない聖火の重みを感じました。テレビで最終ランナーの大坂なおみさんが走っているのを見て、私もつないだ火がこうやってつながっているんだなと感動しましたね。
何事にも挑戦していく瀧口さんですが、これからやりたいことはありますか?
実は、アナウンサースクールに通い始めたんです。視聴者に感動や人の熱い思いを届けられるアナウンサーになりたいなと思って。私が伝えることでと誰かにとっての声援になったり、「明日も頑張ろう」とか「人って良いなぁ」って思ってもらえたら嬉しいです。
今の世の中、特にコロナ禍ということもあって疲れているなって思うことが多くて、生きる活力を届けたいんです。それはアナウンサーだから出来ることだと思っていて。だから、夢に向かってもっともっと頑張っていきたいです!
瀧口さんのアナウンサー姿見たいです!応援しています!最後に今後に向けて意気込みをお願いします。
絶対にアナウンサーになるという夢を叶えて今まで支えてくださった方々に恩返しをしたいです!たくさんの人にエールを届けられるようなアナウンサーになります!
美学生プロフィールProfile
担当カメラマン・インタビュアーCameraman & Interviewer
井上 翔也
僕も昔から美学生図鑑の読者でした!美学生図鑑は1日1度見に来るだけで癒される、そんな場所です。美学生たちの煌めいた一瞬を皆様にお届けすることが出来るよう頑張ります!
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