美学生インタビューInterview
反抗心から始まったアイドル人生
2019年までSKE48で活動していた楽々さん。そもそもアイドルになったきっかけは何だったんですか?
母が勝手に応募したことがきっかけです。1次審査を通過した時に、母から合格通知書の写真とともに「ごめんなさい」という言葉がLINEで送られてきて、そこで初めて応募していたことを知りました。
私はずっとミュージカルをやっていて、歌ったり踊ったりするのが好きだったんですけど、中学でテニス部に入ってからは辞めてしまったんです。母はそれを勿体無いと思っていて、SKEのオーディションに応募したそうです。
勝手に応募され、合格を知った時はどう思いましたか?
その時は中学2年生だったので、反抗期の真っ只中で。自分はアイドルに興味が無かったし、キャラでもなかったので母と大喧嘩しました(笑)
その時に父が「簡単にアイドルになれる訳がないのに、受かる前提で喧嘩してるのが面白い。どうせなれないよ。」って言ったんです。それがちょっと悔しかったので、じゃあやってみようと思って審査に参加しました。
その後、4次審査まで進み、最終的に合格した時はどんな気持ちでしたか?
どういう世界なんだろうという興味はあったんですけど、アイドルになることに対しては恥ずかしいなという気持ちが強かったです。あと、アイドルになりたいって強く思ってメンバーになった子たちと仲良くなれるのかなという不安があって、実際に最初は同期にもなかなか馴染めず端っこで正座していました(笑)
SKE48の曲も知らなかったんですか?
全然知りませんでした。『パレオはエメラルド』というSKEの有名な曲があるんですけど、「知らない子いる?」と聞かれて、手を挙げたのが私一人だけで(笑)その時は、やっぱりダメかもなって思いました。
意識に差があった同期とはどのように打ち解けたんですか?
それが、みんな思っていたよりも良い意味で普通の子たちで。好きなYouTuberの話で盛り上がったのをきっかけに仲良くなりました。レッスンがほぼ毎日あったので、打ち解けるのには意外と時間はかからなかったですね。
ただ、仲良くなったものの同期の中でもグループ内での立ち位置が前、後ろって分かれていたので、勝負の世界って感じがして。私は「前に行ってやろう」という気持ちは無かったので、自分は自分のペースで頑張ろうと思っていました。
選抜制度もありますよね。初めて選ばれた時はどんな気持ちでしたか?
入って3か月くらいで、松井玲奈さんの卒業シングル『前のめり』の選抜メンバーに選んでいただけたんです。しかも、松井玲奈さん、松井珠理奈さんというエース2人に次いで自分、というポジションで。
正直、選抜というものが何かも分かっていなかったし、自分よりもっと可愛くてガッツがある子とか、今までずっと頑張って来た先輩方がいるのに「なんで自分なんだろう?」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
エゴサーチをするとファンの方々の風当たりも当たり前に強くて、当時中学3年生の自分には辛かったですね。
その時、グループ内ではどんな感じでしたか?
どう思われているんだろう、きっと良くは思われていないんだろうなというのを感じて、すごく気を遣っていました。
でも、ミュージックビデオの撮影で行った沖縄で、北川綾巴さんという先輩がずっと私についてくださって。綾巴さんも入って半年くらいの時に、研究生の状態で選抜に入った経験があって似た境遇だったみたいで、とても優しくしてくださいました。撮影後も一緒にコンビニに行くなど、1人で寂しい思いをするということは全く無かったので、本当に感謝しています。
その後も選抜メンバーにも多く選ばれていた後藤さんですが、卒業はいつ頃考え始めたんですか?
大学に入学し、将来自分は何がしたいかなと考えた時に、アイドルではないかなと思って卒業を意識し始めました。
自分の中で、アイドルは曲の中の作品世界を演じる人だという感覚が強いんです。明るい女の子が主人公の曲もあれば、男の子が主人公の曲もあるし、そのキャラクターになりきって曲を表現するじゃないですか。自分自身を表現するというよりは、そのキャラクターになりきる存在だと思っていたので、今度は“後藤楽々”という自分そのもので誰かのためになりたいなと思ったんです。
毎日朝の番組を観る中で、自分も出たいという漠然とした目標はずっとあったので、アイドルを続けるよりは、セント・フォース(現在所属してる事務所)に入った方が目標に近付けるのかなと思って卒業を決めました。
バラエティタレントや女優になるという選択肢は無かったんですか?
それは考えませんでした。グループにいても、目立って笑わせるタイプというよりは、面白いことをしている人の動画を撮ってケラケラ笑っているというタイプなんです。誰かを楽しませたり笑わせたりすること自体は好きなんですけど、タレントは自分には難しいかなと考えていました。
そうだったんですね。グループ卒業後、セント・フォースに所属した時のファンの方の反応はどうでしたか?
もともと活動を休止して大学受験をしたり、朝の番組に出たいという話をしたりはしていたので、「夢に向かって着実に進めている感じがするね。」と言っていただけました。アイドルを卒業しても応援してくださる人がいることがとても嬉しいです!
「ZIP!」出演をきっかけに目標が明確に
現在、日本テレビの朝の情報番組『ZIP!』に、トレンドを伝えるコーナーのリポーターとして出演中の楽々さん。「朝の番組に出る」という目標が叶いましたね!
そうなんです!『ZIP!』はずっと観ていた番組だったので、その番組に携われると決まった時は本当に嬉しかったし、夢って叶うんだって思いました。
これをきっかけに「伝える仕事がもっとたくさんしたい!」と思うようになり、これまで漠然としていた夢が「将来はテレビ局のアナウンサーになりたい」という明確な目標に変わりました。
『ZIP!』への出演は2年目に突入しましたね。
正直、1年で終わりだろうと思っていたので、2年目も出させていただけることになってビックリしたし、嬉しかったです。
アイドルのときとは求められるものが違うので最初はド緊張だったんですけど、回数を重ねるごとに肩の力を抜き、自分らしさを出した表現も出来るようになってきたので、何事も経験だなって思います。
台本ではなく、自分の言葉でリポートしているんですか?
最初の頃は全然分からなかったので台本通りにやるしかなかったんですけど、そうするとやっぱり棒読みになってしまって、感情が入り切らないというか言葉に感情が乗らないんですよね。
今は慣れてきたので、ディレクターの方も「好きなように紹介して!」と言ってくださって、視聴者の方にどう伝えるのが良いのかなと考え、自分の言葉でリポートするようにしています。
数ある言葉の中で正解はないけど、どの言葉を使ったら面白いかな、キャッチーかなと考えるのが今はすごく楽しいです。
リポーターを務めるようになってから、日々の行動に変化はありましたか?
本を読んでみたりとか、広告やテレビを見てキャッチーで面白いワードがあったらメモをしたりするようになりました。
そもそもテレビの見方が変わって、例えばオードリーの若林さんは短い言葉で笑いをとるのですごく参考にしていますし、いしわたり淳治さんという作詞家の方のワードセンスも好きなので、表現に取り入れてみたりしています。
こんな感じでインプットはするんですけど、『ZIP!』のリポーターは人数が多いので月に1、2回しか撮影がないので、アウトプットをするのがまた大変で。自分の言葉として使えるようにするためには、もっともっと経験が必要だなって思います。
アイドル人生で学んだ、“チームの大切さ”
「テレビ局のアナウンサーになりたい」と言っていましたが、フリーアナウンサーとして活動することは考えていないんですか?
今は考えていないです。というのも、アイドルをやってきて、チームでやることって大切だなって思ったんです。フリーは1人だけど、テレビ局のアナウンサーはチームでどう良いものを作っていくかということが考えられるし、先輩や後輩から学んだり、同期から刺激を受けたりすることが出来ると思っていて。
人との繋がりを活かして成長していきたいので、フリーで活動するよりテレビ局のアナウンサーになりたいなって思います。
楽々さんは、どんなアナウンサーになりたいですか?
見ている人の視点に立って言葉選びができるアナウンサーになりたいです。
あと、自分の「楽々」という名前は、自分も楽しく相手も楽しくさせてほしいという願いが込められていて、自分の生きる上でのモットーでもあるので、視聴者の皆さんにも情報を伝えることを通して楽しさを感じてもらって、笑顔になってもらいたいなと思っています。
その点で、視聴者の方と同じ目線を持っているからこそ人の心を動かしたり、楽しませたりできている日本テレビの水卜麻美アナウンサーをとても尊敬しています。
『ZIP!』の総合司会も水卜アナですよね!何か関わりがあったりしますか?
私がVTRの中で水卜アナの名前を出したり、振ってみたりすると、水卜アナがそれに対して答えてくださることもあります。間接的にですが、目標にしている方がそうやって関わってくださると、素直に「あぁ、嬉しい!」って思うし、なんか不思議だなって思います。