ミスキャンに挑戦して良かった!
ミスキャンパス立命館2016に応募したきっかけを教えてください。
正直に言うと、初めはミスキャンに応募しようなんて考えもしていませんでした。周りからは「応募したいと思っているやろ?」と言われていたのですが、本当にそんなことは全くなかったです(笑)でも、今年4月に3回生になって気持ちが変わりました。私には、将来アナウンサーになりたいという夢があります。でも、全く自分に自信が持てなくて、アナウンサーを目指すことも不安に思えてきていました。何か自信を持てるようなことをしたいと考えた時に「ミスキャン」という選択肢が出てきたんです。とはいえやはり迷いがありましたが、決断をせずに終えてしまうのは後悔すると思ったので、もう深く考えずに感覚を信じて突っ走ることに決めました。今はこの選択をしたことに満足していますし、最高に充実した時間を過ごせています。
ミスキャンの活動をしてから以前と比べて変化したことはありますか?
打たれ強くなりましたね。ミスキャンは人前に出る活動なので、時に批判的な意見をいただくこともあります。初めはすごく気にして目をそらしてしまったり、深く考えすぎたりしていたのですが、今はしっかりと受け止められるようになりました。
あと、周りの人に感謝する気持ちを持てるようになりました。この活動をしていると急遽予定が入ったりすることがあるのですが、そんな時でもバイトのシフトを代わってくれたり、私がSNSの更新をしていない時も「優茉さん、今日更新してないでしょ!」と教えてくれたりするんです。本当に助けてもらってばかりで、感謝の気持ちでいっぱいです。
ファイナルイベントまで残り1ヶ月を切りました。目標があれば教えてください。
歴代のミスキャンに出られている方々は綺麗で、話しやすく尊敬できる方々ばかりです。私もミスキャンの活動を終えた時に先輩のようになりたいと憧れています。ファイナルイベントが終わった時に少しでも近づけていれるように、とりあえず今はミスキャンの一つ一つの活動に専念していきたいと思います。
活動を見てくださる一人一人の方に少しでも還元できるように頑張っていきますので、応援のほどよろしくお願いします!
アナウンサーは「夢」から「目標」に。なりたい気持ちを再確認
成合さんは1回生の時にも美学生図鑑に登場してもらいました。前回のインタビューでも「将来の夢はアナウンサー」と語っていましたが、今もその夢は変わらないんですね?
なりたい気持ちは一切変わっていません。でも、以前と変わったのは、「夢」から「目標」に変化したことです。前回のインタビューの時にも話したのですが、私は曾祖母の影響でアナウンサーに憧れるようになりました。ずっとその憧れを抱いていたのですが、今年3回生になって就職活動が目前に迫ったことで、もう一度なぜアナウンサーになりたいのかを真剣に考えるようになりました。そのためにテレビでアナウンサーの方を注目して見てみると、そのプロフェッショナルな姿勢に改めて魅了されました。ニュースを読む時は引き締めた顔ではっきりとした口調で伝える一方で、バラエティー番組になると現場の雰囲気に合わせた受け応えをしていて、臨機応変に話し方や伝え方を変える技術力に圧倒されました。アナウンサーという職業はかっこいいと思いましたし、目指したいという素直な気持ちを再確認することができました。
アナウンサーは華やかなイメージのある職業ですが、とてもハードな職業でもありそうですよね。
私が中学生の時に東日本大震災が起こって、その時は友達の家にいたのですがとても大きな揺れを感じました。予想以上の揺れで困惑して、何が起こったのだろうとテレビをつけるとニュースが報道されていました。東京も相当揺れていたので、アナウンサーの方も絶対に怖い状況だったと思います。でも、情報を伝える姿勢は勇ましく、責任感を持って働かれているように見えました。確かにとてもハードな職業だと思いますが、情報を伝える使命を感じられるカッコいい職業だと思います。
念願の一人暮らし!
前回のインタビューで、「学期末テストの結果次第で一人暮らしができるかどうか決まる」ということを話していましたが、その後どうなりましたか?
無事に良い成績をとることができて、今は一人暮らしをしています!家族と離れての生活は寂しいですが、念願の一人暮らしができて嬉しいです。1限授業の時は実家から通うとなると朝7時には家を出ないといけなかったのでとても気が楽になりました(笑)
家事は大変ではないですか?
とても楽しく生活をしていますが、同時にお母さんの存在の有り難さに気付きました。掃除や洗濯もそうですし、私が気づけていなかった些細なことなどあらゆることをお母さんがしてくれていたんだと知りました。この前風邪をひいて、何もできないぐらいしんどくてずっと寝込んだことがあったんです。すると心配してくれたお母さんが大阪から駆けつけてくれて、看病だけでなく他の家事までやってくれました。本当にありがとうの気持ちでいっぱいですし、お母さんの偉大さと優しさを感じました。