美学生インタビューInterview
強豪校でダンス漬けの毎日
ダンスはいつから始めたんですか?
中1からです。同志社香里のダンス部に入って6年間活動していました。
(E-girlsさんとのコラボ動画)
ダンス部に入ったきっかけは?
もともと踊ることが大好きだったんです。3歳から約10年程クラシックバレエを習っていて、バレリーナの吉田都さんに憧れ、世界で最も由緒あるロシアのワガノワ・バレエ・アカデミーのレッスンを受けたりもしていました。
でもある時、同志社香里のダンス部がテレビで特集されてるのを見て、そのカッコ良さに衝撃を受けたんです!それでバレリーナを目指すことをやめて、同志社香里を受験することにしました。家から学校までは片道1時間半以上かかるんですけど、「ここに入りたい!」って強く思ったんですよね。
部員は多いんですか?
中高合わせて140人くらいです。
人数が多いので練習場に入りきらなくて、下駄箱とか剣道場とか校内の色々な場所に散らばって、鏡のない場所ではスライドガラスに映る姿を見て動きの確認をしながら練習してました。夏場はクーラーのない暑い中で、冬場は吹きっさらしの寒い中での練習でした。
強豪校ということは練習も厳しかったのでは?
部活は毎日で、朝練もあったし、日祝は朝から夜まで練習でした。大会前は朝6時前に家を出て、帰宅は夜11時。次の日また学校なので、その時は「帰る意味あるのかな?もう学校に泊まりたい!」て思ったほどでした。
私の中で一番きつかったのは、39度の熱が出ていたのにみんなに迷惑がかかると思ってフラフラながらも躍りきったことです。ほんと毎日くたくたでしたね。中高6年間“ダンス漬け”って感じでした。
大会で披露するダンスなどは自分たちで考えるんですか?
そうです。テーマの設定から曲決め、構成、振り付けまでわたしたちでやります。
特に曲決めは大変で、一人数曲ずつ持ち寄って100曲くらいの候補の中から選んでいきました。曲を決めるのだけで1週間くらい、長いときには1か月かかることもありました。それぞれが意見をぶつけ合い、部長が取りまとめながら最後は多数決で決めます。
登美丘高校に負けたくない!腰の痛みに打ち勝ち悲願の2連覇
6年間のダンス部生活で思い出に残っていることはありますか?
やっぱり一番印象に残っているのは、高2と高3の時に「日本高校ダンス部選手権」で優勝したことですね!全国からおよそ500校くらいが参加してその頂点を競う大会で、同志社香里は「ビッグクラス」という約40人で踊る種目に出場しました。
メインで踊るのは高3の方たちなので高2の時はそこまでの重圧は感じなかったんですけど、それでも優勝した時は心が震えました。最後に優勝校のメンバーがステージに並ぶんですけど、その時の景色がずっと忘れられません。ライトが降り注いでて、紙吹雪が散ってて、大勢の人たちが拍手してくれて、ほんとうに鳥肌モノでした。
翌年は大谷さんたちが最高学年。プレッシャーもあったのでは?
ありました。というのも、高校2年の時の選手権で2位だったのがあの登美丘高校だったんです。バブリーダンスで大注目された学校ですよね。実際に私も生で見てそのすごさに圧倒されました。
それでも先輩たちがその学校よりも上だと評価されていただけに、私たちのプレッシャーも大きかったです。これは相当な覚悟が必要だな、と強い意志を持って大会に臨みました。
結果、見事2連覇!おめでとうございます!
実は大会前日に腰を痛めてしまって、一睡もできないまま当日ステージに臨んだんですよ。アドレナリンが出てたのか、幸い踊ってる時は痛みを感じず乗り切ることができたんですけど、踊り終わった後に再び痛み始めました(笑)
結果発表の間は部員同士で手を繋いでいて、みんな手が震えてました。3位、2位、1位と順番に呼ばれていくんですけど、3位でも2位でも呼ばれず、1位の可能性もあり4位以下の可能性もある状況で優勝校の発表を待って……。名前を呼ばれた時は隣の部員を抱き合って喜びました。
泣きましたか?
いや、その場では泣きませんでした。人前では泣かないタイプなので(笑)でも、家に帰ってから「ほんとうに優勝したんだなぁ」って実感が湧いてきて6年間頑張ってきたこととか色々と思い出して一人で泣きました。
ダンス部の活動を通して得られたものはありますか?
顧問の先生や先輩方からの指導でメンタル面は鍛えられました。全体を通して忍耐力は身についたなって思います。
あとはやっぱり仲間の存在ですね。中学から高校にあがる時に続けるか迷ったこともあったし、高校に入ってからも大会前になるとしんどすぎて「こんなんもう無理。絶対に辞めてやる。」って思ったこともありました。それでも続けられたのは仲間が大好きだったから。青春を共にしたダンス部の仲間に感謝です。