2019.06.21

杉村しえな(同志社大学)「NYのバレエ学校へ4年間留学してました!」

ピッツォ・サラ同志社大学2回生

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リボン

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美学生インタビューInterview

初舞台で感じた“ワクワク感”が原動力

小さい頃からバレエをやってるそうですね? 何がきっかけで始めたんですか?


7歳の頃からクラシックバレエをやってます!
きっかけは幼稚園の頃に友達の発表会を見に行ったことですね。その舞台の感じにすごく惹かれました。必死さとか一生懸命さとか本気な感じが私にも伝わってきて自分もやりたいって想いが強く残ったんです。
それで、小学校に入ってから教室を探して2年生のときに始めました。

練習は難しくなかったですか?

めちゃくちゃ難しかったです。バレエは動きが細かく決まっていて100種類以上もあるんですよ。だから覚えるために毎日バレエノートを書いてました。習った動き方を棒人間で表したり、先生の注意、例えばつま先を伸ばす、膝を曲げない、顔の向きも気を付けるというのをメモして。3ヵ月で分厚い日記帳1冊が埋まりました。

 

小学校の高学年になって動きが難しくなるとみんなで帰りに自転車を止めて運動靴のままでもう1回踊って、できなくて悔しかったとこを教え合って覚えましたね。

初めての舞台はどんな感じだったんですか?

習い始めてちょうど1年後、3年生になる直前が初舞台でした。
普段はあまり小道具を使わないんですけどこのとき初めてタンバリンを持ったんです。だから最初はぐちゃぐちゃで(笑)

 

会場は幕も舞台袖もあるちゃんとしたホールだったので、リハーサルで初めて舞台に上がった時はみんなテンションが上がりすぎてました。先生がマイクで指示を出すんですけど、立ち位置を大幅に通り越して「うわぁぁぁ! 行きすぎ~!!」って焦ってて、小2ながらこれはヤバいなって思いましたね(笑)

リハーサルから本番までどれくらいあったんですか?

次の日なんです。翌日本番(笑)だから1日で修正です。でも、そのお陰でみんな頑張るぞ!って団結できて、本番は成功しました!

 

舞台に立つともうワクワク感というか、特別感がすごくて“もっとやりたい!”って気持ちが強くなりましたね。しんどかったけど上手くできたときの喜びが大きかったです。
表現力が求められるので「センスあるね!」って言われたときはすごく自信が持てたし、それを言われたい一心で頑張りました。難しくなればなるほどできたときの喜びが大きいから中毒性が強くてどんどんのめり込んでいったんです。

やっぱり学年が上がるごとに練習はハードになるんですか?

高学年になってコンクールに出るようになると“何を表現するか”が大事になってきます。
例えばお姫様役でも強気な性格なのか、守られるタイプなのか。結婚式前でウキウキだとか、恋人と上手くいかなくて悲しいとか登場人物の心情で動きも変わります。中世の恋愛が元になってたりするので恋愛小説を読んでこういう感情なのかな?って妄想を膨らませてました(笑)

 

それで、実はちょうどその頃、バレエで海外に行けることになったんです!

チャンスがあるなら掴まないと、いつまたその機会が巡ってくるかわからない

海外?

『ボストン・バレエ』っていうアメリカで有名なバレエ団があって、夏休みに開催する短期留学のオーディションに受かったんです! 世界各地から同世代の子たちが200人くらい集まって2ヵ月ほど寮で生活をしながらバレエを学べるプログラムなんです。

 

スタジオの先生から何の前触れもなく「受かってたよ!」って言われて「えええええっ!?」って驚愕で。そのあとじわじわ喜びと、でも初の海外だったので不安もありました。

実際に留学してみてどうでした?

レッスンは朝から夕方までみっちり。本場の踊りを習えるので刺激が多かったです。
日本人はテクニックや表現が丁寧って言われるんですけど、アメリカの人はエネルギーが目に見えるほど大胆に踊る人が多かったですね。日本にいたら知らないことばっかりでもっと知りたいって気持ちが湧いてきました。

 

それから毎年夏は海外のいろんなバレエ団に留学して、中3の頃には『ジョフリー・バレエ・スクール』っていうニューヨークにあるバレエ団のスクールから年間の留学に来ませんか?って誘いを受けたんです。

本格的なバレエ留学ってことですか?すごいですね!

これは行くしかない!と思ってすぐに中学校の退学届を書きました。中高一貫校で受験もなかったので自分は高校に行くと思ってたら、夏休みが明けた途端いきなりクラスメイトとバイバイになって。

 

少しは悩んだんですけど“チャンスがあるなら掴まないと、いつまたその機会が巡ってくるかわからない”って気持ちに引っ張られて即決しました。

声がかかるのは少数人ですよね? 自分では何が評価されたと思いますか?


舞台に立つ以上はお客さんの目に留まらないといけないので、その練習もかねてまず先生や振付家の方に見ていただけるようにアピールを心がけてました。与えられた振り付けから外れないギリギリのとこで個性を出したり、注意された点をすぐに直して意欲を示すとかですかね。あとは一番見てもらえる一番前の真ん中で踊ったりとか。何もしないと埋もれてしまうので。

 

でも、正解がない中で“認めてもらえるかどうか”なのでずっと手探りでした。

ニューヨークでの生活はどうでしたか?

寮はマンハッタンの古いアパートでリビングとバスルームだけ共有のシェアハウスに近い感じでしたね。家事は自分でやらないといけないし会話は全て英語なので最初は結構しんどかったです。

 

スクールは4年制で、朝8時半から踊り始めるので準備を考えて5時半に起きてました。レッスンもハードで、1コマ1時間半なんですけど先生も教えたいことが多くてだいたい30分近くオーバーするんです。休憩が30分なのでほぼ休みなしの日もありました。

世界中から生徒が集まるんですよね? 競争とかすごそう……


蹴落とすっていうよりお互いに良いとこを褒めたり、アドバイスしたり、自分に取り入れたりして競争と協力を同時にしてる感じでした。盗むっていうより堂々と教えてとか一緒に頑張ろうとか。お互いを巻き込んで底上げしていく感じですね。

レッスンが終わるのは何時頃でしたか?

夕方には終わるんですけど私は中学中退の状況なので勉強をしないといけないんです。向こうは高校まで義務教育なので、アメリカの大学受験資格が取れる通信教育を受けてました。数学とか政治・経済とか化学とか。あとはアメリカの歴史や国語ですね。遅い日は夜9時10時まで英語と格闘してました。

 

それで終わって帰ったら晩御飯を作って、洗濯に行き、明日の用意をして寝たら次の日はまた朝5時半に起きて……みたいな生活を繰り返してました。

超ハード……! 嫌になったりしませんでした?

「ああ~、もう何もしたくない!」って日はありました(笑)でも、やりがいの方が大きかったのでレッスンに対するしんどさはあまりなかったです。

 

毎年冬に3、400人が出演する一年で一番大きな舞台があって『くるみ割り人形』を踊るんですけど、2年目に大事な役を頂けて大きなモチベーションになりました。

その役は上手くこなせましたか?

実は、主役の子が途中で足を痛めて急遽いろいろ配役が変わっちゃったんです。私も一緒に練習したことのない人と組むことになって。初めてで合わせるのはすごく難しいことだし、1000人以上のお客さんが入ってるホールだったのですごくドキドキだったんです。

 

でも、なんとかミスなく終わって、そのときはすごく充実感がありましたね。そういうステップを踏んだことで、“来年は主役”っていう想いが強くなりました。

悲願だった主役の座 舞台の上から見えた景色は……?

次の年はどうでしたか?

主役を踊りました! 決まった時はすごく嬉しかったです!

 

けど、本番が迫るにつれて “これでいいのか”って不安になって。気持ちをコントロールしきれなくなって泣いたりもしました。当日もめっちゃ緊張して……、舞台は主役で印象が決まっちゃうので「あの子が主役のとき良かったよね」って言われたいし、「良くなかった」ってだけは絶対に言われたくないから緊張に負けないように頑張りました。

その時、舞台からはどんな景色が見えましたか?

それが、踊ってるときは本当に必死で……考えてもパッと出てこなくて。照明も強いし、お客さんを見てる余裕はほぼなかったです。最後お辞儀のときにようやく、あ、こんな広い舞台に立ってたんだって認識する感じでした。

では、あらためて今振り返ると主役を演じてどうでしたか?


終わったあとに拍手を浴びるのもすごく嬉しかったんですけど、その後に楽屋に来た子役のお母様方から「すごくよかったわ~!」って声をかけていただいたんです。メイクを落としてティアラもないのに気付いてもらえて、そこまで見てもらえて評価してもらえたんやって思うと何物にも代えがたい経験でしたね。

3年目で主役を踊って、次が最終学年ですよね?

そうです、4年目。日本だと高校3年生です。この年に、学生なんですけどプロと同じように数週間に1回公演をするグループができて私も所属することになりました。団員は15人くらいで毎日練習とリハーサルをしながら演出家の方が役を付けていく感じで、毎日が戦場でした。

 

その間に卒業後に所属するバレエ団のオーディションも受けてましたね。

それもまたハードですね……。

でも、最初に渡米した時は絶対にアメリカに残るって決めてたんですが、どうしよっかなって考え始めて。団員の経験をして現実が見えたし、「ウチに来てみませんか?」ってお誘いもあったんですがビザが下りない事も何度かあって。自分の実力とは関係ない理由でダメって言われたときはすごくショックで、

 

自分はこの先、何がしたいのかな?って考えて考えて、一度日本に帰ることにしたんです。

自分でどうすることもできないのは悔しいですね。それで、帰国してどうしたんですか?

バレエスタジオでちっちゃい子に教える手伝いを始めてたんですけど、気付いたら同年代の子たちが大学生になってて。大学に入るって手もあるんだな~って。ずっと一つのことしかやってこなかったけどせっかく勉強もしてきたし自分の選択肢を増やしたくて大学に行くことにしました。

今やりたいことは?

大学生のうちに視野や可能性を広げようっていうのが目標です。最近はテスト勉強をしたり、サークルに入ったり、バイトに打ち込んだり……。

 

でも、前にスタジオに行った時に「そろそろ発表会なんだけど出ない?」って。さらに「振り付けもしてみない?」って言われて、踊りを一から考えました。また舞台に戻ってきてしまいましたね。

振り付けをするのは初めてですか?

そうなんです。プロデュースする側は初めてで今までで一番緊張しました。皆さん私より年上でコンクールで優勝した人や留学してた人なんです。知識があってしっかり表現できる人たちに私の作ったものを踊ってもらう。どうしてその動きなのか自分の中にしっかりと考えがないとダメだし、それを伝えて理解してもらわないといけないので不安や怖さもありました。

今後はどんな道に進みたいですか?

それが未定なんです。バレエに関わっていたいという想いも強くあるんですけど社会のことも知ってみたいです。
これまでのさまざまな経験がどこかで繋がって結び付いたらいいなっていう漠然とした願いの中で、手探りの真っ最中です。



美学生プロフィールProfile

プロフィールphotos

杉村 しえな (すぎむらしえな) 同志社大学 経済学部経済学科2回生

>お仕事を依頼する
生年月日
1999年1月20日
出身地
京都府
憧れの人
シルヴィ・ギエムさん(フランス出身のバレエダンサー)
チャームポイント
全力の笑顔としっかり眉毛
性格を一言で表すと?
しんどいことでもポジティブで負けず嫌い
異性を落とすコツは?
コツを考えないこと
主な活動
7歳からバレエ

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