美学生インタビューInterview
「歌のお姉さん」になりたい
大阪樟蔭女子大学の児童学部に入った理由は?
歌のお姉さんになりたい、と思ったからです。中学から高校まで4年間ミュージカルスクールに通っていて、もともと歌って踊る事がすごく好きでした。あと、私には10歳離れた可愛い妹がいて、妹や妹の同級生の子どもたちと一緒に遊んだりしている内に子ども好きになったんですよ。それらがこの夢を志すきっかけでした。ただ、色々調べていたら、音大など限られたところじゃないと歌のお姉さんの面接の案内は来ないと分かって…。そんな時、大学の実習で保育所へ行って1歳児を担当する機会があって。嫌いな物を食べられるようになった子や走り回れるようになった子を見ていると、こうした成長を見ることのできる保育士や幼稚園の先生も良いなと思うようになったんです。
心のどこかに「子ども」がある
その気持ちにずっと変化はありませんでしたか?
大学2回生の頃には子どもに絵本を読み聞かせるボランティアに参加したりもしていました。でも、保育士になったバイト先の先輩から仕事の苦労話を聞くと、次第に一般企業への就職も考えるようになりました。そこで、「一年間違う事やってみてまた保育関係の仕事がしたくなったら帰ってこよう」と、読み聞かせのボランティアを辞め、子ども関係の仕事の次にしたかったカフェとシュークリーム店で接客と販売の仕事を始めました。子ども以外の事に関わってみてどうでしたか?
カフェはお客さんに一番近いところだし、ご飯やドリンクを作れたりホールにも出られたりします。実際に自分が作ったものを食べてもらえるからすごく嬉しくて良い経験になりました。同世代のバイト仲間もたくさんいて楽しいですね。でも、店に子どもが来てくれると、どうしても目が行ってしまう自分がいました。オープンカウンターなのでお客さんが見えやすいこともあって、楽しそうな声が聞こえると「いいな~」って思って子どもがいる席に料理を持って行きたくなります。やっぱり心のどこかに「子ども」があるんです。他に、今宮戎の福娘などにもチャレンジしたそうですね。
はい、平成28年度第64代今宮戎福娘を務めさせていただきました。もともとモデルなどにも興味があったんですがオシャレな事はできないし身長も足りず…福娘なら身長制限もないのでやるだけやってみようと応募しました。十日戎でご奉仕をさせていただく時は三日間朝4時起き、帰ったら23時で寝るのは翌日午前2時、睡眠時間は2時間といった感じでしたが、朝、着物を着た瞬間に福娘モードになっていました。福娘ファンの方のカメラがずっと近くにあってたくさん写真も撮ってもらって、この先こんなにモテる事はないなって思いましたね(笑)テレビにも出演できたりと、貴重な経験ができて自分の世界がすごく広がりました。歌って踊れるモテモテな先生に
さて、一年間色々なことに挑戦した松村さんですが、今は将来に関してどのように考えていますか?
ずっと迷っていたんですけど、合同企業説明会で他の業種を見ても自分に合うと思うものがありませんでした。そこで、保育園の見学に行ってみたんです。すると、子どもがワッと寄ってきてくれて。その時に「私にはこれが向いているんだな」って改めて感じました。絵や歌などの教育に力を入れているところに魅力を感じるので、今は保育と教育、どちらもできるこども園も視野に入れて探しています。