2026.03.19

小薗和叶(東京音楽大学)「アナウンサーになるために音大に進学?!夢を叶え、春から地方局へ」

阿津 七実同志社大学3回生

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美学生インタビューInterview

「アナウンサーは声楽を学ぶべき」 音声学の専門書で出会った運命の一節

音大からアナウンサーって珍しいですよね。まずはアナウンサーを目指したきっかけを教えてください。

小学生の頃からアナウンサーに憧れていました。目指したきっかけはいくつかありますが、一番大きなきっかけになったのは、小学6年の夏休みの経験です。

 

家族で東京から鹿児島まで車で旅行をしていたのですが、途中、三重県で台風に遭遇してしまったんです。道路が冠水し、川なのか道なのか分からないような状況の中で、私たちはその場に取り残されてしまいました。初めて訪れた土地だったこともあり、どこから情報を得ればいいのか分からず、命の危険さえ感じたのを覚えています。

 

そんな時、カーラジオから「大雨特別警報発令!」と、アナウンサーの力強い声が流れてきて、その声に導かれるように無事、避難所へたどり着くことができたんです。

 

この経験を通して、自分も誰かの命を救ったり、人々の心を動かせるアナウンサーになりたいと強く思うようになりました。

そこから音大へ進学したのは何故でしょう?

高校生の時に音声学の専門書を読んだことがきっかけです。

 

私はミュージカルが好きで、『マイ・フェア・レディ』という作品が大好きなんですけど、この作品のテーマの一つが「音声学」なんです。イギリスの下町で育った貧しい花売り娘が、音声学の教授から話し方や振る舞いを学び、洗練されたレディへと成長していく物語です。

 

その作品をきっかけに音声学に興味を持ち、専門書を手に取って読み進める中で、「アナウンサーも身体が楽器。だから、声楽を学ぶべき。」という一節を見つけたんです。そこで一念発起し、音大に進学して声楽を学ぼうと決めました。

本との出会いが進路を決めるきっかけになったんですね。しかし、音大からアナウンサーを目指すというのは一般的ではありません。勇気のいる決断だったのでは?

確かに「本当に音大に行っていいのかな?」と迷ったこともありました。でも、そんな時、中学生の時に出会ったアナウンサーの方の言葉が背中を押してくれました。

 

中学1年の時に、職場訪問のプログラムでNHKの日本語センターを訪れ、現役のアナウンサーの方とお話をする機会があったんです。私が「アナウンサーになるために必要な資格はありますか?」と質問したところ、「ありません。この大学、学部でなければいけないという決まりもありません。ただ、とにかく自分の好きなことを一つ、深く突き詰めることが大切です。」とおっしゃってくださいました。

 

進路に悩んだ時、ふとその時の言葉を思い出し、自分がやりたいことを徹底的に追究する4年間にしようと思い、音大受験を決意しました。

音大受験って難しそうなイメージがあります。歌やピアノはもともと習っていたんですか?

ピアノは幼稚園から小学生の頃まで少し習っていましたが、中学に入ってからはあまり触れていませんでした。最初は楽譜もまともに読めなかったので、全国の音大の過去問を取り寄せ、ひたすら解くような地道な勉強をしていましたね。

 

また、歌やピアノ、ソルフェージュ(視唱・聴音・楽典)などの受験に必要なスキルを身につけるために、学校や部活動(バレーボール部)と両立しながら、週6で音楽のレッスンにも通いました。

 

その結果、1年間の浪人生活を経て、東京音楽大学に入学することができました。

音大で磨いた“声”と、行動力で掴んだ内定

アナウンサーを目指す上で、音大での学びが活かされたと感じた点はありますか?

技術面で生かされたと感じるのは、息のコントロールです。声楽では「ベルカント唱法」と呼ばれる、吸った息を一定の強さで出す歌い方を学びます。高い声を出すときはどうしても息をたくさん出したくなるものですが、どの音域でも息を一定に保つことが大切なんですよね。

アナウンサーの原稿読みでも、息を安定させ、同じ音圧で読むようにと指導されるので、声楽で身につけたことが活かせているなと感じます。

アナウンサーに必要なのは声を出すことだけではありませんよね。他の面で努力したことはありますか?

私はフリートークに苦手意識がありました。フリートークは話す人の人生がそのまま表れるものなので、どれだけ多様な経験をしたかが問われます。そこで大学生活では、音楽以外の活動にも積極的に挑戦しました。

 

特に、2年生の春休みに挑戦した「JAPAN AMBASSADOR(ジャパン アンバサダー)」というコンテストでは視野がすごく広がったなと感じます。このコンテストは日本のものづくりや伝統芸能などを学び、発信することが趣旨で、アンバサダーとして1年間さまざまな活動に参加させていただきました。

 

能登半島地震の1か月後、東京国際フォーラムで開催された「いしかわ伝統工芸フェア」では、珠洲焼の作家さんにお話を伺いました。「忘れられることが一番つらい。だから、私は今ここにいる。」と語られた言葉が、今も心に残っています。

また、JAPAN AMBASSADORの活動を通して伝統工芸に強く惹かれ、愛知県で「木地師」として木製のお盆やお椀を製作されている方の工房を、アポイントなしで訪ねたこともあります。その方は平安時代から1000年続く匠の50代目で、後継者不足という課題に直面していました。

実際に足を運び、直接言葉を聞くことで、自分の知らなかった世界や人の思いに触れることができ、その経験がフリートークの引き出しを増やしてくれたと感じています。

すごい行動力ですね。それらの努力が実を結び、アナウンサー内定を勝ち取ったんですね。

地方局のアナウンサーとして内定をいただくことができました。自分にとって思い入れのある放送局で、ご縁をいただけたことをとても嬉しく感じています。

 

内定までの道のりは決して平坦ではありませんでした。エントリーシートは70枚以上書き、北海道から沖縄まで全国のテレビ局の採用試験を受けました。キー局で良いところまで残っても、なかなか最後の一人になれない。その厳しさに目を腫らしながら過ごした1年間でした。

 

それでも諦めずに挑戦し続けられたのは、支えてくれた人たちの存在があったからだと思います。家族はもちろん、私以上に私の可能性を信じてご指導くださった恩師、アドバイスをくださった先輩方、そして一緒に就職活動に励んだ全国の仲間たち、周囲の支えがあったからこそ乗り越えられたと感じています。

最後に、これからどんなアナウンサーになりたいか、目標を聞かせてください。

私は、誰かにとって「一番身近な声」になりたいと思っています。

以前、気象予報士の森田正光さんが、豪雨の被災地で「誰の声で避難しましたか?」と尋ねたところ、「いつもお世話になっているお寺の住職さんの声で初めて逃げた」という答えが返ってきたというエピソードをテレビでお話しされていました。

 

人は何かあったとき、信頼している身近な人の声で動くのだと思います。私も「小薗さんが言うなら避難しよう」と地元の方に思ってもらえるような、信頼されるアナウンサーになりたいです。



美学生プロフィールProfile

プロフィールphotos

小薗 和叶 (こぞのわかな) 東京音楽大学 音楽学部音楽学科声楽専攻4年生

>お仕事を依頼する
生年月日
2002年10月9日
出身地
東京都
憧れの人
ジュリー・アンドリュース
チャームポイント
首が長いところ
性格を一言で表すと?
令和の鮎原こずえ
好きな人を落とすコツ
私も知りたいです…!
主な活動
2024 JAPAN AMBASSADOR 審査員特別賞 / 第26回新橋こいち祭ゆかた美人コンテスト 準グランプリ / テレビ朝日『ワカコさんとマサルくんのお宅は買わないの⁇』学生MC / 音声プラットフォームVoicy『毎日新聞ニュース』公式ニュースパーソナリティ / 第103回全国高校サッカー選手権大会 全国大会 場内アナウンス / ミュージカルユニット Sept chouchou

担当カメラマン・インタビュアーCameraman & Interviewer

はる

読者の皆様に魅力を届けられるよう、モデルさんの個性や人柄が現れるとっておきの写真を撮影できるように頑張ります。

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