美学生インタビューInterview
「何のために頑張ればいいの?」“目立ちたい”から始まった子役時代でのつまずき
下山さんは現在2回生とのことですが、将来の夢はありますか?
女優です!舞台でも映画でも、全ての分野で活躍できるようになりたいです。
女優を目指したきっかけは何だったんですか?
3歳の時に夢中だった『ハートキャッチプリキュア!』です。作中には、キュアマリンに変身する来海えりかというキャラクターが登場します。彼女は、読者モデルとして活躍する姉と自分を比べて落ち込むのですが、私はその気持ちにすごく共感しました。私も“キラキラした世界”に行きたいと思ったんです。
何かが“キラキラして見える”って、現実との比較があってこその感情だと思います。当時の日常に物足りなさがあったのですか?
いいえ、むしろすごく幸せでした。1人っ子だったので誰かと比べられることもなく「私が全て!」みたいな風に思っていました。マラソン大会では本気で走らず、ママたちの声援にずっと手を振っていたくらいです(笑)今思えば、当時の私は“アイドル気質”だったんだと思います。
注目されることが好きだったんですね!その気質と“キラキラした世界”に惹かれた理由って、繋がっていそうです。
確かに、私にとっての“キラキラ”は、目立つことだったのかもしれません。父が自営業をしていたので、少し古い考え方にはなるのですが「男は度胸、女は愛嬌」と言われて育ちました。なので、人と接するときはとにかく愛想良く、ニコニコすることが染みついていたんです。それが目立ちたがり屋な性格や「私を見て!」という自我の強さに繋がったのかもしれません。そんな性格だったからこそ、“キラキラした世界”に惹かれたのだと思います。
ですが、小学生になってから この自信は打ち砕かれていきました。
何があったんですか?
当時は「劇団ひまわり」という子役事務所に所属し芸能活動をしていたのですが、学校ではリーダーを決める場面でなんでもかんでも手を挙げたり、エキストラで少しだけ出演しただけなのに「この作品に出た!」と大げさに言ってしまったりと、悪くいえば自己中心的な子どもだったんです。どんな反応が返ってくるかを何も考えていなかったので、反発を受けたこともありました。
そんな時、母に「芸能活動で何をしたのか周りに言うのは止めなさい」と言われました。今思えば、私のことを心配してくれていたとわかるのですが、「目立ちたい」「人から評価されたい」という気持ちで芸能界に入った当時の私は、どう頑張ればいいのかわからなくなってしまったんです。
それで小学4年生の時に、子役事務所を辞めることになりました。
その後はどんな生活を送ったんですか?
中学受験をして中高一貫の女子校に進学しました。友達にも恵まれ、楽しい日々を過ごしていましたね。でも、この期間にもう一度、芸能の道を志そうと決めたんです。
どうしてですか?
中学1年の終わり頃、演劇部に入っている友達から「舞台を見に来てほしい」と誘われたんです。彼女は小学生の頃からの友達で、私の芸能活動がきっかけで演劇に興味を持ってくれた子でした。
その舞台で初めて、いち観劇者としてお芝居を見たんです。「私はこっちじゃなくて、あっちの“スポットライトが当たる世界”に立ちたい」と強く思いました。それで演劇部への入部を決めました。
そこで女優がまた夢になったんですね。
いえ、この時点では「そっちに行きたい」という感覚が芽生えたくらいで、芸能界までは考えていませんでした。ですが、中学3年生と高校1年生の時に、姫路市文化国際交流財団主催の演劇プロジェクトに出演したことがきっかけで、お芝居に対する気持ちが大きく変わりました。
子役の頃、私にとっての“キラキラ”とは目立つことでした。でも、次第にその意味が変わっていったんです。
「演じる」のではなく「生きる」 涙にじんだ舞台の先で見つけた、女優としての原点
そもそも、どうしてこの音楽劇に参加することになったんですか?
演劇部の顧問の先生から「誰か受ける子いない?」と声をかけられたんです。
このプロジェクトでは、中学生から25歳までの参加者が、プロの演出家さんたちと一緒に有料の演劇公演を製作します。私は中学3年生と高校1年生の時に出演し、どちらもオーディションで主役に選んでいただきました。
“キラキラ”の意味が変わった瞬間って、はっきり覚えていますか?
はい。舞台が終わった後、カーテンコールに立った時です。
実は中学3年生の時の舞台では、最終リハーサルの前日まで私のせいで通し稽古が止まるくらい、お芝居が上手く出来なかったんです。その時、演出家の笹部博司さんに何度も言われたのが、「舞台上で生きる」ということでした。でも、正直、最初に聞いた時は「演じるんでしょ?生きるってどういうこと?」と、あまり意味が掴めませんでした。当時はコロナ禍で準備期間が十分にとれず、練習も思うように進まなかったこともあり、この言葉を本当の意味で理解することはできませんでした。
ですが、翌年の舞台で、この言葉がしっくりくる瞬間があったんです。その年の題目は、辻村深月さん原作の『かがみの孤城』でした。この作品は、不登校になった中学生の女の子が鏡の中のお城に吸い込まれ、同じように学校に行けなくなった7人と出会う中で、自分の居場所を見つけていく物語です。
私が演じた主人公は、いじめられた過去を抱えていました。でも、私は実際にいじめを受けた経験がありません。その時、笹部さんがかけてくれたのが、「いじめられたことがないからお芝居できないという話じゃない。本番で本当にいじめられたらいい。それが経験になって現れるんだよ。それが“生きる”ってことなんだよ。」という言葉でした。
そして迎えた本番の日、私は舞台上で感情があふれ、べっちゃべちゃになるほど泣いてしまいました。舞台では水分が禁止されているので本当は良くないことなのですが、それがわかっていても止められませんでした。きっと私はその時、役を“生きていた”んだと思います。
その後カーテンコールで、スポットライトを浴びた時の景色は今でも忘れられません。会場は、感動していなくてもできるような拍手ではなく、温もりが伝わってくる拍手と、温かい雰囲気に包まれていました。ちょっと変な言い方かもしれませんが、私はそれに快感を覚えたんです。そして、気づきました。私が求めていた“キラキラ”は、お芝居を通して、作品の魅力や価値観を誰かに届けることだったんだ、と。この拍手は、私のお芝居が誰かの心に届いた証なんだ、と。
お芝居に向き合う姿勢が、自分のためから誰かのためへと変わったんですね。最後に下山さんにとって、お芝居とは何ですか?
私のお芝居が、皆さんの明日を生きる1ページになればいい。これが全てです。
私はインフルエンサーになりたいわけではありません。お芝居を通して、誰かに影響を与えたいんです。見てくださった方の心に何かが残らなければ、お芝居をする意味はないと思っています。
そのためにも「この人になら、どんな役でも任せられる」と信じていただけるように、歌もお芝居も全力で取り組んで、いつか誰かの夢になれたらいいなと思います。