美学生インタビューInterview
ES全落ちで迷走も……春から念願のアナウンサーに!
アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
高校生の頃は父の影響で医療系の職業に就きたいと考えていました。でも、高校3年の時にコロナの影響で学校が休校になったり、行きたかったレジャー施設が休業になったりして、その時に「やりたいことを後回しにしてしまったら、いつできなくなるかわからないな」と痛感したんです。漠然と親と同じ道に進むんじゃなくて、自分が好きなことを学んでいきたいと考え、急遽AO入試を受けて今の大学に進学しました。
アナウンサーを目指したきっかけは、高校時代に放送部に所属してアナウンスのコンテストに出場したことです。県大会の予選で敗退し、賞をもらえず悔しい思いをしたので、大学入学後すぐにアナウンススクールに通い始めました。
1年生からアナウンススクールに通っていたんですね!
そうなんです。周りは先輩ばかりで、たくさん刺激を受けました。
通っていたのはテレビ局のアナウンススクールで、毎回現役のアナウンサーや元アナウンサーの方が講師としていらっしゃるのですが、どの方も口を揃えて「楽しいお仕事だよ。」「頑張って夢を叶えたら楽しい毎日が待っているよ。」とおっしゃるんですよね。お話を聞くうちに、アナウンサーになりたい気持ちがどんどん強くなっていきました。
アナウンサーは狭き門ですが、就職活動はどうでしたか?
私は20社ほど受けたのですが、キー局のESは通ったのに、準キー局のESは全部落ちてしまったんです……!とてもショックで、「何が駄目だったんだろう?」と悩み、それからは落ちるたびに自己PRの内容を変えてしまい、完全に迷走していました。
キー局のESは通ったのに……それはショックですね。
スランプでした。焦ってしまい、受ける局によって自分の見せ方をコロコロ変えてしまった結果、ますます通らなくなってしまって……。
途中で相手の顔色をうかがうのは良くないと気付き、当初の自己PRの内容に立ち返ってESを書くようにしたら、また通るようになりました。
自分の軸をぶらさないことが大切なんですね。その後、内定はもらえましたか?
はい!念願が叶い、春からアナウンサーとして働くことになりました!
他の局ではカメラテストで落ちてしまい、持ち駒がない状態で最後に受けたのが内定を頂いた会社だったんです。「絶対に決めてやる」と覚悟を決めて臨んだ結果、緊張せずに自分の力を出し切ることができました。
内定のお電話を頂いた時は、意外と冷静で涙も出ず、ホッとした気持ちが大きかったです。家族やお世話になった方々に報告する中でどんどん喜びが増していき、後から実感が湧いてきましたね。
インターンでは周りは有名大学の学生ばかりで、群馬の大学に通う自分は少し心細く感じることもありました。でも、人と違うからこそ印象に残りやすかったのかなとも感じますし、どんな経歴であっても自分次第で道は切り拓けるんだということを後輩たちには伝えたいです。
ももクロのライブ会場でうどんキットを販売!観光大使として大奮闘
大学生活で力を入れて取り組んだことを教えてください。
2年生の6月から3年間続けている富岡シルクレディの活動です。群馬県の富岡製糸場やその周辺地域の魅力を発信する観光大使として、県内外のイベントに参加したり、地元のテレビ番組に出演したり、インスタグラムでおすすめの観光スポットを発信したりしています。
なぜ、富岡シルクレディに応募しようと思ったんですか?
1年生の時にコロナの影響でサークル活動もできず、何か外との関わりを増やしたいなと思っていた時に募集のチラシを見かけたんです。生まれ育った群馬の観光PRをしながら、人前に出る経験を積むことでアナウンサーという夢に向けて自分を成長させられたらと思って応募しました。
印象に残っている活動はありますか?
2年生の秋に群馬県内で開催されたももいろクローバーZさんのライブ会場で、富岡市名物の煮込みうどんのキットを販売したのが一番思い出に残っています。
群馬って小麦粉が有名で、幅広の生麺と野菜やきのこを煮込んだ「おっきりこみ」と呼ばれるうどんが郷土料理として親しまれているんです。その麺や具材、スープがセットになったキットを道行く人に売りました。最初はなかなか買ってもらえず苦戦したのですが、最終的には平均の4倍の売上を達成することができたんです!
4倍の売上はすごいですね!どのようにして売ったんですか?
最初はただ声を張り上げて「おっきりこみいかがですか〜!」と言っていたんですけど、県外の方も多く、「おっきりこみ」という言葉自体が通じないかもしれないと考え、「麺が太めの煮込みうどん、群馬の名物『おっきりこみ』です!」という風に言い回しを変えました。
また、主婦の方が通りがかったときには、「このライブ終わりに、夕ご飯が20分で作れますよ〜!」と声をかけるなど、相手のシチュエーションに合わせた呼びかけを意識しましたね。工夫するうちにだんだんと足を止めてくださる方が増え、1人立ち止まってくださるとどんどん人が集まってきて、大盛況となりました!
富岡シルクレディとして、また21年間群馬で生まれ育った地元民として、群馬の魅力を教えてください。
富岡製糸場はレトロな建物の雰囲気が魅力で、観光地としておすすめです。明治時代に建造された当時のレンガや窓ガラスがそのまま残されていて、まるでその時代にタイムスリップしたかのような気分を味わえます。
群馬県全体でいえば、北に行けばスキー場もありますし、草津温泉も有名ですね。キャベツやトウモロコシなどの高原野菜も美味しいのでぜひ味わっていただきたいです。
また、群馬って都心へのアクセスがいいんです!上野東京ラインや湘南新宿ラインが通っているので、高崎駅から乗り換え無しで東京駅まで行けますし、料金も片道2000円以内です。私も毎週、群馬から東京のアナウンススクールに通えたくらい、意外と近いんですよね。
最後に、これからどんなアナウンサーになりたいか目標を聞かせてください。
フジテレビの永島優美アナウンサーのように裏表がなく、誰に対しても真摯で気遣いができて、視聴者から愛されるアナウンサーになりたいです。
能登半島地震の時に強く感じたのですが、災害報道の際にアナウンサーの呼びかけってものすごく影響力があるじゃないですか。日頃から視聴者に「あのアナウンサーは感じがいいな」と思ってもらえていたら、いざというときにその人の発する言葉の信憑性が高まると思うんです。
非常時に人の命を救うためにも、普段から取材相手の方はもちろん、同じ局内で働く方たちにも常に誠実で丁寧に接することを大切にしたいなと思います。