美学生インタビューInterview
絶対にお店を潰したくない!祖父のお店を継ぐと覚悟を決めた高3の秋
池田さんは“あること”でメディアで話題になっていますよね!
実は千葉県松戸市にある「中華東東」という中華料理店で、3代目店主を務めています。
定休日の月曜日と火曜日に大学の予定などを入れ、残りの5日間は店主として毎日朝から夜まで幼馴染と共に、簡単な調理やSNSの更新、メニュー開発など、経営全般に関する仕事をこなしています。
カッコよすぎます!そもそも店主を務めることになったきっかけは?
高校3年生の秋頃に、もともと店主を務めていた祖父がガンで余命3か月の宣告をされてしまい、お店の存続危機に陥ったんです。
祖父は1980年の開店時から40年間、いつも太陽みたいに明るく仕事熱心で、ガンを患っていることも誰にも気づかれないように隠しながら働いていました。私は当時、推薦で大学が決まっていたので祖父の闘病生活を側で支えていたのですが、祖父はお店に帰りたいと言ったり、お店の人とビデオ通話をしたり、余命宣告をされた自分自身よりもとにかくお店を心配していたんです。
両親はもうお店を畳もうと話していたのですが、私は祖父の姿や来てくださるお客様を見て「この店を絶対に潰したくない!」と思って継ぐことを決意し、お店の2階に住み込みで働き始めました。
お爺様のお店にかける熱意に惹かれたんですね。もともとこのお店で働くことは考えていたんですか?
大学生になったらおしゃれなカフェで働きたいと思っていたのと、祖父の店はたまに千葉に行く時に立ち寄る程度だったので、自分が働くことは全く想像していませんでした。
それと私の将来の夢はアナウンサーなので、両親に夢はどうするのか、祖父のお店を中途半端にせずできるのかと心配されました。でも、学生の間はどうしてもやらせてほしいと頼み込んだんです。
高校生ながら突然店主になった当時はどうでしたか?
とにかく困難が山積みな状況でした。まず、祖父の作る味の記憶は残っていたものの、レシピは残っておらず、料理は家族の手伝い程度のレベルでまともに作ることすらできなかったんです。
そして、自分よりキャリアの長い方を差し置いてぽっと出の新人が急に店主になったので、「何を口出しているの?」と言われたり、プレッシャーをかけられることもしばしばありました。また、コロナ禍でお客様のご来店が激減し、赤字経営という苦しさも重なりました。
相当苦労されたんですね……。そんなお店をここまで成長させた池田さんの工夫について教えてください。
まず、自分たちがご飯屋探しに使うのがSNSだったので、SNSから始めてみることにしました。仕事の様子やお店のメニュー、お店のTシャツを着て踊る様子などを発信していったところ、インスタグラムのフォロワーは約40人から5万人、X(旧Twitter)は8000人になりました。
次に、自分たちが食べて満足するものを提供しようと思い、デカ盛りメニューの作成に挑戦しました。
イチオシのデカ盛りメニューは何ですか?
ステーキを1ポンド(450g)乗せたステーキチャーハンです。
以前住んでいた埼玉県の地元とは反対に、お店の最寄駅には飲食店が少なく、電車も20分に1本くらいしか通らない街なんです。でも、そんな環境でも美味しい物を食べたいし、私自身焼肉屋に行くとお肉に加えて大盛りライスを2杯食べるほどの大食いなので、まかないとして作り始めたんですよね。
それからこのメニューを提供したら面白いかもと思い、お肉の量も幼馴染の煽りで当初のまかないより増やし、値段は肉(29)だから2900円で!と軽いノリで出してみたんですよ(笑)そしたらSNSで大食いの方などから反響が集まり、いつのまにか看板メニューになっていったんです!
自分たちの純粋な気持ちを大事にしたメニューがヒットしたんですね!
メニューは日替わり定食のほか、月に1回季節に合わせた新商品を出しています。7月末の土用の丑の日に出したウナ玉炒飯はすごく人気でしたね。通常メニューではハンバーグ炒飯やレバーを使ったメニューが好評です。
それから、日本テレビの『ゼロイチ』やテレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』などの番組などにも取り上げていただいて、さらにお店が繁盛するようになりました。お店で調理や湯ぎりなどをしている姿を取り上げてもらったYouTubeの動画も700万回再生を突破しました!
メディアに引っ張りだこなんですね!
この動画は海外の方にすごく興味を持っていただけて、コメント欄も複数の言語で溢れています。おかげでお店にもマレーシア、インドネシア、メキシコからなど、東京のど真ん中のような立地ではないのに足を運んでくださる方がたくさんいてすごく嬉しいです。
海外のお客様だと圧倒的に韓国人の方が多く、中にはここに来るために日本語を勉強したと言ってくださった方もいて、自分も韓国語や韓国の文化を学びたいと思うようになりました。
すごいですね!でも、なぜ韓国人の方が多いのでしょうか?
実は、私が韓国の5人組ガールズグループ「New Jeans」のミンジに似ていると韓国で話題になっているみたいなんです(笑)
韓国人の方からすごい量のDMが届きます。今は翻訳して読んでいるのですが、いずれはパッと見て理解したり話したりできるようになって、日本と韓国の架け橋のような存在になりたいです。
中華料理店の店主ということ以外でも注目を浴びているんですね。今後やっていきたいことはありますか?
ありがたいことに、2軒目を出店したり、チェーン展開したりしてほしいというお声をたくさん頂いているので、いつかお店を新しく出店できたらいいなと考えています。また、冷凍の餃子やラー油などの調味料などをネットでも販売していけたらと思います!
夢は頑張る人にスポットライトを当てられるようなアナウンサー
将来の夢はアナウンサーだと話していましたね。目指したきっかけは?
最初のきっかけとしては、めざましテレビの高島彩さんが好きだったことです。両親が不動産の会社を経営していて共働きだったので、子どもの頃は朝は一人でテレビを見て学校に行くのが日常でした。そんな時にテレビ越しに見る高島彩さんの「いってらっしゃい」という言葉や笑顔がすごく憧れで励まされる存在でした。
本格的にアナウンサーを志したのはいつ頃だったんですか?
ここ数か月間、お店をメディアに取り上げていただけるようになってからですね。特に激レアさんに出演した時、取材をしてくださった弘中アナが「お店はもちろんだけど、一番好きなのはおじいちゃんなんだね。」と声を掛けてくださったんです。
とにかく目の前のことに必死でお店お店、となっていた時にこの言葉をかけてもらったのがすごく嬉しかったんですよね。自分の中で忘れかけてしまっていた大事な気持ちを思い出せたし、ここまでやってきて、そしてこの番組に出られて良かったなとすごく心が揺さぶられました。
アナウンサーになりたいという思いが強まり、3年生の9月からは学生アナウンサーの事務所であるセント・フォースsproutに所属しています。
事務所に所属してからはどんなことをしていますか?
『gee up sprout』というラジオのお仕事をしました。YouTubeライブで配信をするのですが、応援のメッセージが直接いただけたり、応援してくださる方と交流できたりしたのが楽しかったです。自分の声を聞き直すとダメなところに気付けるので、反省と成長もできる機会だなと思います。
店主と芸能系のお仕事を両立してみてどうですか?
コミュニケーションが大切であるという点で共通していて、それぞれの仕事が相乗効果を生み出している気がします。お店で仕事している時に色々なお客様とコミュニケーションを取ったり、話す内容や話し方、表情などを常に意識したりしているので、ラジオなどのお仕事の際にもそういったことが自然にできるんですよね。
コミュニケーションの取り方の秘訣はありますか?
何気ないことを覚えておいてお声掛けすることです。例えば、SNS上で「明日何か食べに行くね!」と言われたらその方を覚えておいて、当日ご来店された時に「食べに来てくださったんですね!」と声を掛けたりします。ちょっとしたことであっても覚えてもらえると嬉しいと思うし、そういった些細なことの積み重ねでリピーターになってくださる方もいます。
将来はどんなアナウンサーになりたいですか?
自分自身がテレビに出演して光を当てていただき、それによって救われたり活力になったりした経験があるので、今焦点が当たっていない人にもやってきて良かったなと思うような声掛けができるアナウンサーになれたらいいなと思っています。分野としては、お店を経営しているからこそ分かる、お店や物の魅力を伝えられる情報番組に憧れがあります。
祖父から言われた、「地元の松戸の人から愛されないで、どうやって全国に愛されるアナウンサーになるんだ」という言葉を胸に、今はお店で頑張りつつ、将来的には全国の皆様から好いてもらえるようなアナウンサーになりたいです!