美学生インタビューInterview
やっぱりバレエが楽しい!
神田さんが小さい頃からずっと続けてきたことって何かありますか?
3歳からクラシックバレエをやってました。小さい頃、テレビとかで踊ってる人がいると私もそれをマネして踊ってたみたいで、母親がそれを見て、バレエ教室に通わせてみようって思ったのがきっかけみたいです。
その頃からずっとバレエ一筋ですか?
実は小学校に上がる頃、一緒にバレエスクールに通ってた友達が辞めるって言って、私も~って感じで一度バレエを辞めたんです。
その後にジャズダンスがやりたいって思って違うスクールに体験に行ったんですけど、そこでもバレエを教えてて。一回やってみたら?って言われて、やる~って感じで踊ったらやっぱ楽しい!ってなって。だから小1の時はジャズとバレエ、どっちもやってました。
結構、優柔不断ですね(笑)
小1の1年間だけどっちもやって、でも、バレエの方が楽しかったし、上手く踊れるから、幼いながらにこっちだなと思って(笑)小2からバレエ一筋みたいな。
で、3年の時にまたバレエ教室を変えたんです。今度は本格的にやるために教室に変えて、そこの頃は週4、5くらい通ってました。
真剣にやろうと思ったのはどうしてだったんですか?
もっと上手くなりたいっていう気持ちです。ちょうどその時くらいかな。私の従姉もバレエやってるんですけど、従姉がコンクールに出始めて。負けられないっていうか私も出たい!ってなったんです。コンクールで1人踊らせてもらってたりするのを見て、そういうのに憧れました。そこからどっぷりです。
バレエばかりの生活は小学生には大変じゃなかったですか?
バレエ漬けでしたけどそんなに大変って感じたことはなかったです。すごく好きだったので。
あ、先生怖かったです(笑)足が伸びてない!つま先が伸びてない!もう一回!って。私、たぶん純粋やったんで、今やったらええ!?ってなると思うんですけど、その時は素直にやってました。
嫌だなとか、辞めたいなとは?
そんな風には思わなかったですね。もう一回小さい頃に戻って人生やり直せるとしても、もう一回バレエをすると思います。そこで仲良くなった友達もいて、みんなで一緒にコンクール出たり、バレエノートの交換をしたり、充実してましたね。
そんなバレエの魅力ってどういうところだと思いますか?
バレエってすごくしなやかな動きをするじゃないですか。ダンスにはヒップホップとかロックとか色々とあるけど、それとは全然違う、バレエだけの動きがあるところが魅力かな。私はそれがカッコいいと感じて。
それにあれだけ広い舞台で、1人で踊って、みんなに見てもらって、というところも魅力です。
海外へ行ってもバレエ
今まで経験した中で一番大きな舞台は?
一番心に残ってるのは中2の頃に出たコンクールですね。その頃は父の仕事の都合で上海に住んでたんですけど、向こうでも良い先生に巡り合えたので続けてたんですよ。
そうなんですね。外国に住むのに抵抗はなかったですか?
父の転勤が決まった頃はちょうど中学受験の勉強してたんですよ。だから、中学受験の勉強しなくていい!ラッキ~!って(笑)勉強から解放された~!と思ってたんです。
でも、日本を離れる日が近付くにつれて、友達と別れないといけないからやっぱり悲しくなって。最後は大号泣、悲しくて(笑)
友達と離れるのは悲しいし、不安もありますよね。
でも、結果的には行って良かったです。上海日本人学校っていう現地の日本人学校に通ってたんですけど、日本とそんなに変わらない環境で先生も日本人の先生、日本の教科書で授業を受けてました。中国語の授業は発音が難しいので苦労したんですけど、行事に全力の学校だったのでめちゃくちゃ楽しかったですね。
で、バレエの話でしたよね。
出演した中で一番大きな舞台についてです。上海に住みながら日本の大会に?
上海で通っていたバレエスクールの先生に、日本のコンクールに出たいです、って言ったら指導してくださって。その時はめっちゃ練習してましたね。母も協力してくれて、教室に来てビデオを撮ってくれたんです。それを家に帰ってからその日のうちに全部見直して、ノートに書き留めてっていうのもやってました。
コンクールは大阪で開催されたもので、全国各地から参加者が集まる大会だったんです。
成績はどうでしたか?
その時が一番良かったんですよ。予選を勝ち抜けて決勝で審査員特別賞を頂くことができました。それがバレエでもらった最初で最後の賞なんですけど、踊ってる時に、初めて鳥肌立って、めっちゃ楽しかったんですよ。
最後ってことは、その後は辞めちゃったんですか?
中3の途中で、また父の仕事の都合で今度はベトナムのホーチミンへ行くことになって。一応向こうでも教室を探したんですけど、自分に合うところがなかったっていうのと高校受験があったので、そこで一旦区切りを付けようと。
すごく好きだったバレエなのに、いいんですか?
ん~……、いいとは言い切れないけど、やっぱり中学高校になってくると上手い子は本当にすごく上手いんですよ。自分のレベルでこのまま続けてもどういう意味があるのか、みたいな。バレエはめっちゃ楽しいし、大好きやし、続けたいけど……って感じです。
号泣……そして発熱
その先、何かスポーツは?
ずっと個人競技で頑張ってきたけど、部活動をやってみたいっていう気持ちがあって。日本に戻って入学した高校にバトン部っていうのがあって、新入生歓迎会で見てカッコイイ!やりたい!と思ったんです。
バトンを回したり、投げてキャッチするスポーツですよね。
それもあるんですけど、ポンポン編成の部っていうのがあって。2、30人で一つの演技を作るんですよ。
ポンポン?
チアガールが応援の時に持ってるやつがあるじゃないですか。あれです。アクロバティックな演技をするとかじゃないんですけど、私の所属してた部は毎年その部門で大会に出てた高校なんですね。
そういうのがあるんですね。強豪だったんですか?
私が高1の時は全国大会にも出場しました。休みは月に2、3回くらい。ほとんど毎日練習で、活動的でしたね。踊ってる時の人数がそれなりにいるし、フォーメーションや移動もあって複雑なんですよ。
自分が今、どこにいるか全くわからなくて、高1の頃は。でも、列を揃えてって言われるし。ええ~って感じで頭混乱してました。
どんな振りをするんですか?
コンセプトによっていろいろと変わるんですけど、柔らかいバレエみたいな動きをしたり、ヒップホップとまではいかないですけど、そういう激しめの踊りもしたり。それをポンポン持ってやります。
やっていて魅力というか、どういうところが楽しかったですか?
一番は、踊るのが好きなんですね。楽しいから頑張れた。それに尽きますね。踊っていて、ポンポンを振る音がパシって合ったりする時があるんですよ。10秒くらいの振りでも何回も何回も反復練習してやっと揃います。だから、みんなで揃ったときは嬉しいんです。
高1の時に全国大会出場ということですが、それ以降はどうでしたか?
高3はまた受験になるので、高2が一番上の代になります。けどその時、私たちは全国大会に出られなくて。関西大会で金賞は金賞やったんですよ。だけど、もう一つの学校に負けちゃって、2位みたいな。1位しか行けないので。
ギリギリ負けちゃったんですね。それは悔しい。
めっちゃ悔しいです。だからめっちゃ泣いて次の日、熱が出ました。泣きすぎて。めっちゃショック。
一応もう1つ大会があるんですけど、みんな全国に向けて頑張ってききたわけで。それがなくなってしまって、次の練習からどういう気持ちで臨めばいいのか。後輩たちもモチベーションを保てずにいて、あの時はしんどかったですね。
その時はどうしたんですか?そこから気持ちを保つのって難しいと思います。
負けたからって一番上が落ち込んでるわけにはいかないし全国には出れないけど、関西の時よりもいい演技を見せる。もうそれだけ。そこで見返す、みたいな。
最後の大会は12月下旬、全国大会の関西予選から1か月後くらいだったんですけど、なんとか気持ちを切り替えて出て。最後は踊ってても楽しかったですし、何より後輩たちも楽しかったって言ってくれたから、そう言ってくれて本当に嬉しかったです。
そんな結果だったけど、当時のメンバーで一緒に踊れたのが何より楽しかったし、みんなで支え合えたし、それが一番の思い出です。